インタビューさまよう「中道」勢力 新党結集の「失敗」がもたらす今後の影響は野平悠一印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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高市政権への対立軸をめざし、野党のかたまりをつくる「中道プロジェクト」は、結党からわずか7カ月で失敗に終わった。「中道路線」の何が問題だったのか。今後の日本の政治にどんな影響を及ぼすのか。日本政治が専門で、選挙や世論を研究する境家史郎・東京大学大学院教授に聞いた。「非自民」の新党結成に当初は「画期的」と期待 当初、防衛やエネルギー政策で現実主義的な路線を掲げた「非自民」の大政党が結成されたことは非常に画期的なことだと思った。政権交代の可能性を高めるために最大野党は、自民党の土俵でもある保革対立軸の勝負から降りなければならない。中道新党の狙いはそこにあり、それ自体は適切な戦略だった。公明の組織票が計算できることも合わせ、自民と渡り合えるような政党になるのではないかと思った。 ただ、2月の衆院選で大敗を喫したのが全てだろう。敗因として、高市早苗首相個人の人気の影響はもちろん大きかっただろうが、チームみらいなど善戦した野党もあった。 前提として、自民党政権が長期化し、飽きられているということ、そして派閥の裏金スキャンダルによって政治の刷新が求められるという社会的な風潮が高まっていた。だが、中道は党名の響きや執行部の見栄えに魅力がなく、政策的に新たな対立軸や看板政策を立てることに失敗した。日本の戦後政治史で「中道」が成功したことは… 中道というコンセプトは日本の戦後政治史の中で成功したためしはほとんどない。1947年に共産主義でもなければ軍国主義でもないという意味での中道連立政権、片山哲内閣(社会党)ができたがすぐに崩壊してしまった。その後は社会党の中で左傾化の動きが強くなり、自民側も穏健化した。中道的な勢力は少数派として孤立し、55年体制期を通してせいぜい野党第2党以下の地位に甘んじた。 中道という立場は、政権を取…この記事は有料記事です。残り621文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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