ストーリー闘病の半生、戻った心の潤い 優しいメロディーが生んだ福島との交流野崎健太印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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3歳のときにも死にかけたことがある。「あの時と同じだ」と思った。 松浦功(こう)さん(84)=北九州市戸畑区=は60歳のころ、悪性リンパ腫を患った。このままでは余命3カ月と宣告され、放射線治療を受け始めた。 すると、タールのような黒い便が出た。医師は、胃や腸の粘膜が放射線でただれ出血したためだ、と説明した。 長崎で入市被爆した3歳のとき、1カ月ほど寝込んで生死をさまよった。両親は「この子はもう死ぬ」と覚悟を決めたそうだ。そのときも、黒い便だった。 原爆投下時は、父以外の家族で長崎県北部の志佐町(現在の松浦市)に疎開していた。4日後、造船所に勤める父の安否を確かめるため、みんなで自宅のある長崎市に戻った。 まだ幼かった弟を背負う母に手を引かれ、爆心地付近を歩き回った。父とは無事に再会できた。家族のなかで自身だけに重い急性症状が出た。「まだ小さかったから、地面のいちばん近くを歩いて残留放射線をたくさん浴び、内臓が傷んだのでは」と思っている。原爆投下後の長崎で放射線を浴びた松浦功さんの半生は、病との闘いの連続でした。その経験は、原発事故のあった福島の高校生を励まします。きっかけは、母が耳にしたある歌でした。 その後も病気がちだった。長崎市内の小学校では休んでばかり。6年生にあがる前の春には重い腹膜炎にかかり、医者に見放されるほどだった。 身近にある死の影が、原爆の…この記事は有料記事です。残り1887文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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この記事を書いた人野崎健太西部報道センター員専門・関心分野1次産業、平和関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする