ストーリー被爆の機密データ持ち出した職員 娘が語る思い「救われたのは母」武田肇印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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色とりどりの風船で飾り付けられた室内には、やわらかな空気が流れていた。「20歳まで生きられない」とかつて言われた4人の80歳の誕生会が広島市内の温泉施設の多目的室で6月、開かれた。 4人全員でケーキのろうそくに何度も息を吹きかけたが、なかなか消えない。顔が少しこわばった。支援者が歌謡曲を熱唱すると、ようやく緊張がほどけ、笑顔が広がった。 4人は、妊娠早期の母親の胎内にいる時に広島で被爆した。頭囲が小さく、生まれつき脳や体に障害がある原爆小頭症被爆者だ。 ろうそくを吹き消すとき、口を一文字に結んで渾身(こんしん)の力を込めたのは、賀村春男さん。みんなに「はるおさん」と呼ばれる。 爆心地から約1.1キロの自宅にいた母親ヨシコさんの胎内で被爆。ヨシコさんが残した証言などによると、生まれたとき「両手にすっぽり入る猫の子みたいに小さな子」で、7歳のとき医師から「よく生きて3、4年」と告げられた。原爆小頭症の被爆者、生存者は11人に 小学校は1年遅れで入学し、中学は未就学。20代から障害者施設で暮らしている。息子を思い面会を重ねたヨシコさんは、2001年に他界した。 この日は約10年前から会にかかわる支援者の車で送迎された。広島東洋カープの大ファンで、司会者とのやりとりでも「カープはええねえ」と笑った。 「しんちゃん」こと中井新一さんは爆心地から約700メートルの自宅で被爆。1歳で小児がんを患い、右目を摘出。読み書きができず、小学校に通ったのは入学から2カ月だけ。 刺繡(ししゅう)が得意で、横浜市で妹葉子さん(75)と暮らす。近況を聞かれて言葉に詰まると、葉子さんが代弁した。「老眼鏡をかけないで(刺繡を)無謀にもやろうとして、老眼鏡をかけなきゃダメだよってね、先生に言われた」 「としちゃん」こと田中敏子さんは、爆心地から約1キロの路上で被爆。妹家族と同居し、週に何度か、作業所に通うのが楽しみだ。「本当に、仕事は、大好きでとても楽しいです」と話した。 「ヒロちゃん」があだ名の川下ヒロエさんは、爆心地から約1キロの自宅で被爆。詩や絵が得意で一人暮らしを続ける。「最近病院通いが時々あるから。甲状腺がちょっとね」と近況を話した。 原爆小頭症の被爆者は1972年時点で母親が長崎で被爆した人も含めて63人が確認されたが、現在は11人。この日、集まれたのが4人だった。機密とされたデータを持ち出したABCC職員 この日の誕生会を迎えるまでには、多くの人々の思いと行動がある。 原爆投下の数年後に米国が広…この記事は有料記事です。残り666文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません






