現場からニューヨーク=花房吾早子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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国連本部を見学に訪れた人たちが、必ず通るロビーがある。その一角に、これまで何回も見てきた写真がたくさん展示されていた。 原爆で髪や肌が焼けた人たちがたむろする広島の御幸橋、原爆でぐちゃぐちゃになった長崎の浦上駅。放射線の影響で、脱毛や皮下出血の症状が出た人びと……。 被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)主催のパネル展だ。核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせ、開かれている。NPT会議、3回連続で成果文書の採択できず 条約、形骸化の恐れ 多くの人が通る側から気づきにくい場所に、小さなモニターが置かれ、岩佐幹三さんの証言映像が流れていた。 「母が生きながらにして焼け死ぬのを見捨てて、見殺しにして逃げました」 16歳だった1945年8月6日、原爆で母と妹を失った。父はすでに病死。孤児となった。 「僕、この一生であまり泣いたことないんですけどね、あのときは本当に号泣しました」。映像の中で、岩佐さんはうつむき加減に両手を組み、目をつむって言葉をつないだ。 記者(42)は2012年、ウィーンで開かれたNPT再検討会議の準備委員会で、岩佐さんと初めて会った。記者の出身地、千葉県船橋市に住んでいて、親しみを感じた。日本被団協を引っ張り、国連本部にも来た岩佐さん。20年、91歳で亡くなった。 「会議を被爆者の人が見てい…この記事は有料記事です。残り2009文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人花房吾早子ヨーロッパ総局員|EUやNATOなど専門・関心分野戦争、核兵器、ジェンダー、LGBTQ+関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする







