現場から「ビルの中で死にたくねぇ」 被災してがんになり、最期に望んだのは森岡みづほ印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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郷谷(ごうたに)幸男さん(64)がステージ3の肺がんと診断されたのは、2025年7月だった。 自宅で血を吐いたため病院へ行くと、医師から告げられた。「このままでは1年も生きられません」。毎年受けている健康診断で異常はなかったのにと、実感がわいてこなかった。 それまでの1年半は、心身ともに休まるひまがなかった。 住んでいたのは、石川県輪島市の山あいにある打越町。24年元日、地区は能登半島地震に襲われて孤立し、避難生活を強いられた。 家は半壊だったが、住み慣れた場所で暮らしたいと、停電と断水が続く地区に戻った。それもつかの間、9月には豪雨に見舞われる。 地区につながる道路は寸断され、行き来が難しくなった。近所の人たちとともに「長期避難世帯」の認定を受け、車で約10分の距離にある市中心部の仮設住宅に入ることになった。 余命を宣告されたのは、そこでの暮らしにようやく慣れてきたころだった。 能登半島地震の発生から1日で2年半になる。石川県内の被災地では、いまだに1万5千人余りが仮設住宅で生活している。元の暮らしを取り戻せないまま、人生の最期を迎えようとする被災者に、どのような支えが必要なのか。 そして今年5月に再び血を吐き、金沢市の病院へ。診察中にまた、血を吐いて意識を失い、そのまま入院した。 約1週間後、医師に言われた。「これ以上の治療方法はありません」 人生の最期を迎えるまで、どこで過ごすのか。 見舞いに訪れた知人の看護師、上吉原(かみよしはら)良実さん(45)に聞かれ、答えた。「俺はこんなビルの中で死にたくねぇ。輪島に帰りたい」 生まれ育った地区は、春は畑に花が咲き乱れ、夏は小川にホタルが舞う。トラック運転手として長年働き、県外に住んだこともあるが、結局ふるさとに戻ってきた。 その思いをくみ、上吉原さん…この記事は有料記事です。残り1126文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人森岡みづほ大阪社会部|災害担当専門・関心分野人の暮らし、国際報道、ジェンダー関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






