ストーリー「僕は何者?」名前も年もわからない…家族とはぐれた男の子の生涯翁長忠雄印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
[PR]
聴覚障害者が通う広島の福祉施設に勤める沖本浩美さん(64)には、忘れることのできない被爆者がいる。原爆投下後に家族とはぐれ、耳が聞こえず、自分の名前も年も知らなかった。「自分は何者なのか」と問い続けたまま亡くなった。 田中正夫さん。2021年、戸籍上では80歳で死去した。 自らの体験を手話で語った動画が、沖本さんの勤め先に残っていた。ろう重複障害者が通う広島市中区の「アイラブ作業所」。沖本さんは運営する社会福祉法人・広島聴覚障害者福祉会の理事で、14年9月1日にその動画を撮影した。 今回、記者がお願いして、田中さんの手話を文字に起こしてもらった。 話は1945年8月6日朝の自宅から始まる。 《家族で集まって両親もいた。お母さんが僕を抱いてくれていたのかな。豆のご飯を食べていた。すると、畳が盛り上がって、僕はその下をはって進んだ。出口のようなところまで進むと、そこから水に落ちてしまい、慌てて両手で水をかいた。》いじめられた ご飯もたりない 落ちたのは川だった。必死に叫ぶと、いかだに乗った兵隊と思われる人に抱き上げられた。その後、田中さんはどのような人生をたどったのでしょうか。両親への思いとは。田中さんが手話で自らの体験を語った動画もあります。 《いかだの上にはけがをした…この記事は有料記事です。残り1394文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
【この記事の続きが読める】有料記事が読み放題のスタンダードコースが初回1カ月無料!詳しくはこちら宅配紙面の購読者なら、ダブルコース半年割がお得です。詳しくはこちら
この記事を書いた人翁長忠雄広島総局専門・関心分野中東、東南アジア、原爆、沖縄関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






