ストーリー脳裏に刻まれた「銀色と赤と黒」 論壇賞受けるまでの学者親子の思い松下秀雄印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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その光景が、爆風の映像など何かのきっかけで熊本守雄さん(86)=山口市=の脳裏によみがえる。女学校の生徒たちの顔がまん丸にふくれ、銀色に光ってみえたのだ。【消えない傷あと:1】傷つくってどういうこと? 元乃木坂46の和田まあやさんと考えた 「お姉さん、どうしたの?」 手をつないでいた母に尋ねても何も答えない。振り向くと赤い炎と黒い煙が高く上っている。 熊本さんはいう。 「(記憶から)逃げるといったら変ですけど、遠ざかろうとしてきたのかも知れません。頭が変になるんじゃないかと」 だから被爆体験を語ろうとはしなかった。戦後38年経った時、中学1年の長男に尋ねられ、答えるまでは。助けを求める次姉の姿が現れて 熊本さんは国文学者で山口県立大学名誉教授。5歳の時、爆心地から1・5キロほどの広島の自宅玄関先で被爆した。崩れた瓦の下敷きになり、母が手でかきわけて助け出してくれた。逃げている時、銀色の女学生を目にする。いま思えば、やけどで火ぶくれになり、脂で光ってみえたのだろうという。 原爆で父と次姉が犠牲になった。父は爆心地近くの職場で即死。次姉は広島湾の似島にできた臨時野戦病院に運ばれ、亡くなった可能性があることが数年後にわかる。 次姉はいまでいえば中学1年。銀色の女学生と同じ年頃だ。あんなふうに苦しんだのだろうか? 母も同じ思いだったのだろう。夢に、炎に包まれ助けを求める次姉が現れ、うなされるようになった。 熊本さんはのちに、被爆体験を描いた作家原民喜の小説「夏の花」を読む。そこにこんな一節がある。 「断末魔のうめき声がする…この記事は有料記事です。残り972文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人松下秀雄山口総局記者専門・関心分野国内政治、政治参加、憲法、国民投票、戦争関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする