「周りもそうだったから」戦争喜び、家族失った少女が声を上げるまで西晃奈印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする【予告動画】被爆81年連載「忘れない あなたを」

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森田富美子さんは1929年、長崎の裕福な家に生まれた。父が経営する造船会社は順調。自宅の庭の池にはコイが泳ぎ、森田さんはまだ習ってもいないのに今の価格で300万円ほどする琴を買ってもらった。 花木の手入れが好きな母はワンピースや小物をよく手作りしてくれた。 家族仲もよく、幸せな子ども時代。 それが、なぜあんな形で奪われなければならなかったのか。 全てが間違った方向に行く最初の記憶。 小学6年の冬の日だった。大声ではしゃぐちょうちん行列 家の外が騒がしくなった。自宅2階の窓から見下ろすと、赤い明かりが通りを埋め尽くしていた。華やかなちょうちん行列が出来ていて、大人たちが大声を出しながらはしゃぎ、旗を振る。万歳を繰り返す人もいた。 あまりの美しさに、うっとりと眺めた。「日本軍がどこかで勝ったのかな」 理由はすぐに分かった。映画館で上映前に流れるニュースが「ハワイに致命的打撃を与えました」と告げた。周りの大人たちが目を輝かせて興奮するのに合わせて、自分も思わず喜んだ。 41年12月8日、真珠湾攻撃だった。 平和に思えた日常は、ちょうちん行列の日を境に少しずつ変わり始めた。 学徒動員が始まり、勉強せずに兵器工場に通うようになった。ワンピースはモンペ服、靴はげたになった。 戦争と隣り合わせの日常に何の疑問も抱かなかった。周りもそうだったから。 楽しみだった女学校に入った…この記事は有料記事です。残り2226文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人西晃奈ネットワーク報道本部|大阪府庁専門・関心分野子育て、教育、働き方、防災、平和関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする