海を渡る仏塔、シルクロード東端で花開く 青陵賞の向井・京大准教授編集委員・中村俊介印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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夕映えに染まる優美な五重塔は、文学や美術作品にもたびたび登場する日本の原風景。でも、そのルーツは土饅頭(まんじゅう)のような、似ても似つかぬ姿だった。仏塔はなぜ変容したのか。その複雑なプロセスを独自の視点で解き明かして浜田青陵賞に決まった京都大人文科学研究所の向井佑介准教授はいう。仏塔は高くなければならなかったのだ、と。 「古い寺院は塔が中心。仏教東漸を明らかにするうえで塔の意味は大きい。でも、日本を掘り下げるだけではわからない」。だから、その視野は東アジアからさらに西方、中央アジアまで広がる。 仏教発祥の地インドで釈迦の骨を納めたストゥーパは、もともと半球状のドーム形。塔ではなかった。ところが紀元後に中国に伝わると、どんどん〝高層化〟を始める。 「当初、仏陀は既存の神仙思想と同一視された。神仙は高い所を好むもの。だから、仏塔も高くなければならなかったのです」 南北朝時代(5~6世紀)になって教義への理解が進むと、塔は仏教世界の中心とされた聖なる須弥山(しゅみせん)と結びついて天上の兜率天(とそつてん)と現世をつなぎ、弥勒(みろく)信仰が盛んに。そんな垂直指向の造形は巨仏で有名な雲岡石窟(山西省)の中心柱などにもみられるという。 ただ、仏教の伝播(でんぱ)…この記事は有料記事です。残り978文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人中村俊介編集委員|文化財・世界遺産担当専門・関心分野考古学、歴史、文化財、世界遺産関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






