ストーリー中野晃印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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100年の軌跡 尹さん一家の物語 最終話 100年前に日本が支配した植民地朝鮮で生まれ、戦前に日本へ渡り、戦後は和歌山県有田川町を拠点に流域の土木工事を手がけた尹重伯(ユンチュンベク)さん。孫の韓昌健(ハンチャンゴン)さん(48)は子どもの頃、祖父の単車の荷台に乗せられて道路や堤防など祖父が手がけた場所を教えてもらった思い出がある。初孫なので随分と可愛がってもらった。 祖父は時折、韓国慶尚北道(キョンサンプクト)の親類と国際電話で話をした。10代からの長い日本暮らしでも、ふるさとのなまりを忘れていない姿に驚いた。 昌健さんは和歌山朝鮮初中級学校(和歌山市)に通った。学校近くに自宅があり、父の韓富澤(ハンブテク)さんは教員を務め、母の尹美生(ユンミセン)さん(72)は事務の仕事をしていた。本が大好きで休み時間には図書室にこもり、1年で1万ページ読むと授与される「模範読書家」のバッジをもらったのが誇りだ。 大阪朝鮮高級学校を経て、朝鮮大学校(朝大、東京都小平市)の外国語学部で学んだ。卒業後は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関紙、朝鮮新報の編集局に勤めた。 今年の夏、昌健さんは30年ほど過ごした東京での生活に区切りをつけて和歌山に戻った。新聞社での勤務も四半世紀。2025年10月に迎えた「創刊80周年」関連事業も一段落し、今春に退社した。「いつか自分が生まれ育った和歌山のため、母校のために貢献したい」という思いがあった。 父は23年前に他界した。母や上の弟、妹は大阪市住之江区で暮らしているが、幼少期を過ごした土地への思いが強い。 7月18日夕、和歌山朝鮮初中級学校の校庭に昌健さんの姿があった。保護者や卒業生らが手作りしたチヂミやホルモン、焼きそばなどが並び、近隣住民も訪れる納涼イベントが開かれ、鉄板の前で汗を流した。 集まった同胞らを前に、昌健さんが壇上に呼ばれてあいさつした。「(朝鮮)新報社で25年間働いた後、和歌山へ帰って来て7月から生活しています。これから学校と同胞社会のために貢献したいと思います」祖父の平壌への最初で最後の旅 尹さん一家の物語第1話 海の向こうの祖国と、生まれ育った日本。そのかけ橋になりたいと日本の人々との交流にも長年取り組んだ父や母の背中を追う。 下の弟で朝大准教授の韓(ハン)昌道(チャンド)さん(44)は今春、生まれ故郷の日本の人々に祖国のことを理解してほしいと、一冊の本を出した。題名は「虫を追って、祖国を想う」。朝大から昆虫の研究室のある愛媛大大学院に進み、在学中の08~10年、学術調査で単身祖国に渡って昆虫採集をした。献身的に協力してくれた祖国の人々の純朴な姿を伝えたかった。 昆虫に興味をもったのは幼少…この記事は有料記事です。残り327文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません






