ストーリー中野晃印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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100年の軌跡 尹さん一家の物語 第2話 有田川が悠々と流れ、緑濃い紀伊の山並みが連なる。在日朝鮮人2世の尹美生(ユンミセン)さん(72)=大阪市住之江区=は姉の美恵(ミエ)さん(76)=和歌山市=と時折、ともに幼少期を過ごした和歌山県有田川町の実家に行く。父の重伯(チュンベク)さんが20代で建て、90歳まで暮らした家だ。 壁にかかったカレンダーは、父が脳梗塞(こうそく)で倒れてこの家を去った2016年9月の日付のまま残している。 父は22年2月に新型コロナで急逝した。家族は病院での臨終にも火葬にも立ち会えなかった。 大阪・統国寺(大阪市天王寺区)での葬儀で、喪主の美恵さんは「アボジ(お父さん)」と切り出し、追悼文を読み上げた。 「アボジの一生はまさしく『在日朝鮮人1世』の典型的な一生だった。日本の植民地統治下の朝鮮での過酷な日々。10代前半から鉱山や土木工事の現場で働き詰めだったアボジ」 「朝鮮人1世の労苦と忍耐があったからこそ、何より朝鮮人魂があったからこそ、今日、私たちがこうして、この日本で生きていられる。そのことを私たちは決して忘れてはならない」 美恵さんは、生前の父からしばしば昔の苦労話を聞かされた。 父は「ジャガイモはもう見るのも嫌や」と苦笑いした。10代前半から鉱山や土木工事の「飯場(はんば)」(作業員宿舎)で、バケツいっぱいのジャガイモの皮むきをさじが削れるまでさせられたという。10代半ばで海を渡り、兄のいる和歌山に来て土木現場で働いた。 戦争末期に徴用され、「南方送り」のため京都の舞鶴港に連れて行かれた時のことは何度も振り返った。 日本人の上官が「貴様ら朝鮮…この記事は有料記事です。残り711文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする