ストーリー中野晃印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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100年の軌跡 尹さん一家の物語 第4話 在日朝鮮人2世の尹美生(ユンミセン)さん(72)=大阪市住之江区=は母、孫春任(ソンチュンイム)さんのあの一言がなければ、全く違う道を歩んでいただろうと思う。 同胞の女性団体の冊子に「オモニ(お母さん)へ」と題してこう寄稿した。「私がオモニに一番感謝している事、それは朝大(朝鮮大学校)に送ってくれた事です。朝鮮人として生きる事を初めて否定せず肯定できたのです」 美生さんは、父尹重伯(ユンチュンベク)さんが土木事業で根をはった和歌山県有田川町で幼少期を過ごした。地元の小中学校に通名(日本名)で通ったが、地域の人々は一家が朝鮮人だと知っていた。 和歌山市にある県立桐蔭高に進み、下宿して通った。学校では通名を名乗り、友人にも朝鮮人であることは伝えず、日本人のようにふるまっていた。「悶々(もんもん)とした気持ちで過ごしていました」 友だちと学校近くの食堂に入った時のこと。店のおばさんが雑談の中で「朝鮮人は腐ったリンゴを食べる」と言った。美生さんが在日朝鮮人だと、おばさんは知らなかった。うつむきながら、じっと黙っていた。生き別れた姉弟が平壌で最後の再会 尹さん一家の物語第1話 高3の夏休み、母は、美生さんを朝鮮大学校(東京都小平市)の見学につれていった。初めて触れる同胞ばかりの世界。その時は積極的にここで学びたいとは思わなかったが、母の強い願いもあって志望校のほかに朝大も受けた。 東京の私立女子大に合格し、下宿から電話で入学金の振り込みをお願いすると、母が言った。「朝大に行ってほしい」 子どもが朝鮮の言葉や文化を…この記事は有料記事です。残り741文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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