「建国の聖地」で幻の体育大会 戦時下の奈良・橿原に若者が集った井上秀樹印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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建てられたばかりの神殿は、真新しいヒノキの香りが漂っていた――。 九州から初めて橿原神宮を訪れた安武均(1926年生まれ)の、二十数年後の追憶だ。 全国指折りの強豪、久留米商(福岡県久留米市)の柔道部員として42年、現在の奈良県橿原市で開かれた中等学校の全国大会に乗り込んだ。 本業のため同行しないはずの指導教師が、宿に突然現れるハプニングも。大会前夜は教員らの応援で盛り上がった。「明日からの試合に期待がもてた」 男たちは背広から国民服一色になり、街を行くのは戦闘帽とゲートル姿ばかり。軍靴の足音が近づいていた。 高校野球の前身、中等学校野球の全国大会は、41年の地方大会半ばで中止された。野球史では「戦局の深刻化」と説明されている。 ところが翌42年夏に、文部省(現文部科学省)主催で全国大会が開かれた。現在も続く朝日新聞社主催の選手権大会に入っていないこの大会は、「幻の甲子園」として知られる。 実はこのとき、「全国中等学校体育大会」と銘打ち、サッカーや陸上など計10競技の全国大会が甲子園や近隣であった。 当時、文部省は大日本学徒体…この記事は有料記事です。残り1017文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人井上秀樹奈良総局専門・関心分野寄席演芸、舞台芸術、大衆芸能関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする