ストーリー「自決壕」を元教員が調べ考えたこと 戦争知る世代がいなくなっても奥村智司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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戦後81年の夏。戦前・戦中生まれは国民の1割ほどになり、戦争の「記憶の継承」の難しさが言われる。だが、元中学教員で戦時中の集団自決について調べる津田憲一さん(72)=横浜市=は、体験者がいなくなることは「大きな問題と思わない」と記者に話した。鹿児島県の奄美群島で当時起きたことを調べる中で、その考えに至ったという。 2025年7月、津田さんはブックレット「奄美〝幻〟の『集団自決』」を出版した。戦争末期、米軍が沖縄に続いて上陸する事態に備え、奄美の島々で住民らが壕(ごう)を掘り、その場所での「集団自決」が想定されていた、という内容だ。 17年に加計呂麻島(瀬戸内町)の知人を訪ね、その母親(当時96)が問わず語りに話した壕の記憶が端緒だった。「『玉砕壕』と呼んでいた。アメリカにやられるくらいなら一緒に死ぬんだと」。そう聞かされた。 「奄美での『集団自決』に関する話はまったく初耳で驚きました。聞き違いかと思ったほど」体験記に「玉砕場所に行く訓練、何回も」 加計呂麻島を再訪し、お年寄りたちに尋ねて回ると「集団自決のための壕」の話を次々聞いた。さらに、偶然手にした沖永良部島・和泊町の「戦争体験記」にも、より具体的な証言が数々記されていた。「全島民の死場所も越山と定められ、老人、子供を連れて玉砕場所に行く訓練も何回となく行われた」など。同様の体験は喜界島、与論島の字(あざ)誌などにも記録されていた。 「『自決壕』について証言集では淡々と書かれています。みんなで体験して、当たり前のこととして語った中に、現代の我々にとってとんでもない話が含まれている」 知人の母親の一言がなければ…この記事は有料記事です。残り609文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人奥村智司西部報道センター|論説委員補佐専門・関心分野安全保障/エネルギー/水俣病/カネミ油症関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






