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「百年に一度」と言われる大規模再開発で、空に向かってにょきにょきと伸びていく渋谷の街。渋谷駅直上の超高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」は地上229メートルの高さを誇り、屋上の展望施設から東京を一望できる。 その足元には、旧渋谷川が近くを通るスクランブル交差点がある。青山や代官山などの台地に囲まれた谷底から、道玄坂、宮益坂と複数の坂道が伸びるすり鉢状の街。渋谷ではしばしば、この「高低差」が街の特徴として語られてきた。 だが、1970年代から「若者の街」に変貌(へんぼう)していく以前、この地形こそが街の発展を阻んでいるとの考えもあった。 「平らな新宿に追いつくため、谷を埋め、坂をとっちまえ」 パルコを率いた増田通二は生前のインタビューで、当時の地元商店主の間でそんな声が強かったと振り返っている。 増田はこう提案したという。「坂の周辺に店を張りつければ若者を引き込める」。電柱をなくし、通りをきれいにし、小道にはブランド好みの若者に合わせた名を付けよう。いわく「坂道ファッション論」。公園通りと名を変えた坂道が、華やかな文化的空間として全国の注目を集めたのは70~80年代のことだ。 68年開業の西武渋谷店を起点に、代々木公園の手前まで続く高低差15メートルほどの上り坂とその周辺には、渋谷パルコ、渋谷ロフトなど、西武系の旧セゾングループが手がけた商業施設が並んだ。 セゾンの総帥だった堤清二らは、西武渋谷店から最先端のファッションを売り出し、パルコに劇場を設けてアングラ系の前衛演劇や現代音楽のコンサートを催すなど、ここを知的な文化の発信拠点とした。キャッチコピー「おいしい生活。」に代表されるイメージ戦略も話題を呼び、小売業に文化事業を組み込む手法は「セゾン文化」という言葉を生む。 公園通りは洋風の電話ボックスやベンチで演出され、広告や壁画が街を飾る。若者たちは、駅から離れた坂の上を目指した。79年に朝日新聞が実施した街のイメージ調査では、渋谷の代表として「公園通り」を挙げる人が、駅前の「ハチ公前」を10ポイント近く上回った。 セゾンが仕掛けたこうしたまちづくりに対し、渋谷を地盤とする東急グループも、東急百貨店本店までの上り坂を整備して対抗した。のちの文化村通りだ。二つの坂道を軸にファッションビル、劇場、ミニシアターなどが次々に生まれ、文化の集積する空間が形成されていった。 今春、この一帯で西武渋谷店とハンズ(旧東急ハンズ)渋谷店が相次いで閉店することが明らかになった。折しも駅周辺では、再開発ビル群を空中デッキなどで結ぶ新たな「歩行者ネットワーク」の整備が進んでおり、街の動線にも変化の兆しが見える。渋谷は、どんな未来を夢見るのか。「渋谷」というパッケージの強さ 都市空間としての渋谷の特異性とは何か。著書「広告都市・東京」で渋谷を論じた社会学者の北田暁大・東大大学院教授に聞いた。 ◇ 渋谷の面白さは、まずすり鉢状の地形にあります。平坦(へいたん)で境界があいまいな新宿や池袋と比べ、地形がいや応なく都市のまとまりを作っている。セゾングループは、その地形に目をつけ、街を立体的に回遊できるテーマパークのように演出しました。もともと乗換駅や通過点だった渋谷を若者文化の発信地に変えた意味は大きい。 その後、セゾン・パルコ的なものが支配力を失って、ギャルやチーマーの街になり、再開発で高層ビルが立っても、「若者」や「文化」という意味付けはついて回ってきた。それだけ、パルコ以降の「渋谷」のパッケージは強力です。 劇場やライブハウスのような「ハコ」と考えるとわかりやすいかもしれません。中身は変わり続けても、あのすり鉢状のハコで演じられる限り、渋谷の劇として見ることができると思います。【インタビュー全文】文化村通りにMEGAドンキの衝撃 社会学者が語る「渋谷っぽさ」渋谷から考える「都市と文化」 この半世紀余り、渋谷は文化と流行の発信地として国内外のまなざしを集め続け、他地域の都市開発にも影響を与えてきた。渋谷自体が大きく変わりつつある今、都市と文化の関わりを改めて考える。






