ストーリー「カルチャーの街」を生んだパルコの戦略 渋谷の「通り」はステージ増田愛子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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連載「渋谷考 セゾン文化と再開発の間で」③ 1973年開業の渋谷パルコは、70~80年代にかけて、若者が集まる「カルチャーの街」となっていった渋谷を象徴する存在だ。 駅から約500メートル離れた坂道の上――という立地の難をどう覆すか。当時パルコを率いていた増田通二は、出店を機に「区役所通り」から「公園通り」と名前を改めた通りをステージに見立て、多彩な文化で彩った。 「すれちがう人が美しい」のキャッチコピーで、道行く人の「見る、見られる」ドラマを演出。同時に出版と演劇を柱に、文化の発信拠点のイメージを打ち出す。 74年にパルコ出版からタウン誌として創刊された「ビックリハウス」は、萩原朔美を初代編集長に、読者参加や軽やかなパロディー満載の企画で話題に。政治・社会への関心が薄いとされた「シラケ世代」の若者の心を捉え、全国的な人気カルチャー雑誌に成長する。 創刊メンバーの一人で、クリエーティブディレクターの榎本了壱は「増田さんには街の情報の中にパルコを定着していきたいという気持ちがあった」と振り返る。 誌面企画から生まれた「日本パロディ広告展」といった公募審査イベントは人材発掘の場となり、多くの若者をパルコに引きつけた。 一方、演劇事業では、9階に設けた約500席の西武劇場(現パルコ劇場)で、パルコが企画、または外部と提携する形で様々な公演や催しを開いた。 オープン記念は、当時パルコが属していたセゾングループの創業者、堤清二と親交のあった武満徹が企画した現代音楽祭と、安部公房の演劇。その後は井上ひさし、唐十郎などの現代劇からミュージカルショーまで幅広い作品を上演。公演を自らプロデュースする劇場の先駆けとなる。 89年には、東急もコンサートホールや劇場を備えた複合施設「Bunkamura」を開業。ファッションやカルチャー関連の個性的な店舗も増えていった。 榎本は「消費文化をカルチャーっぽくしていくという二つの会社の戦略の中で、街が出来上がっていった点が渋谷の面白さ」と話す。世界から人もモノも集まった 68年生まれのアーティスト…この記事は有料記事です。残り1235文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人増田愛子文化部|専任記者専門・関心分野歌舞伎、文楽、海外の演劇、公共劇場関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






