栄養を取らせねば 「国策雑誌」も料理家も奮闘した戦時下の食事田中聡子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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食糧不足だった戦時下や戦後、日々の食事は社会の大きな関心事でした。あの頃、食をめぐりどんなことが起きていたのか。政府や専門家らの動きを、当時の朝日新聞の記事とともに振り返ります。「軍艦サラダ」から野草の食べ方まで 戦時下の婦人雑誌に見る使命感高市政権の防衛政策、知らなかった支持者 「あの戦争」に何を思う?広がった「国民食」 〈国民食の基準栄養決る 国民服と並んで登場する「国民食」の基準栄養などを決める「国民食制定栄養委員会」が食糧報国連盟主催で開かれ(中略)た〉(1940年11月21日付朝刊) 戦時下の食糧不足を背景に広まったものの一つに、「国民食」がある。大きなきっかけは1940年から食糧報国連盟が制定を進めた「国民食栄養基準」。中等度の労働をする成年期の男性なら、1日あたり「2400カロリー、たんぱく80グラム」などと掲げられた。 これ以降、「国民食」は栄養と強く結びつけられ、「適正な食」として使われるようになる。「我慢」も「栄養がある」と意味づけされる 戦争が激化する1943年に…この記事は有料記事です。残り1793文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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