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この春から、小学校の給食費に国の補助が入るようになったことをご存じでしょうか。毎月の口座引き落としや集金袋――あたりまえだった「保護者が払う給食費」が、少しずつ姿を変えようとしています。でも、そもそもなぜ義務教育の学校給食を、家庭が負担してきたのか。その理由をたどっていくと、戦後の占領政策や冷戦の影が浮かび上がってきました。朝日新聞ポッドキャストの番組「報談」で、記者の冨名腰隆と神田大介が自身の給食の記憶を重ねながら語った歴史の奥行き。「誰が子どもの食を支えるのか」という問いは、私たちの社会のかたちそのものを映しています。※本記事は、ポッドキャスト音源を生成AIで文字起こしし、音声チームと出演者が確認・校正したうえで公開しています。あの集金袋が「あたりまえ」だった理由小学校時代、給食費の集金袋を持っていった記憶がある人は多いのではないでしょうか。封筒に現金を入れて、先生に渡す。いつからか口座振替に変わったけれど、「給食費は家庭が出すもの」という感覚は、ずっと変わりませんでした。2026年度の予算成立に伴い、この春から全国の公立小学校で、給食費に国と都道府県の公費が充てられるようになりました。1人あたり月5200円を補塡(ほてん)するかたちです。全国平均の給食費がおよそ4700円なので、物価上昇分を見込んだ額だといいます。しかし、学校給食法(1954年制定)の第11条には、いまも「学校給食費については、児童または生徒の保護者の負担とする」という文言が残っています。法律を変えずに、予算措置で実質的な負担軽減を図る。そんな複雑な構造の背景には、意外な歴史がありました。明治のお寺から始まった「子どもに食べさせたい」学校給食の起源は、1889(明治22)年の山形県・鶴岡にさかのぼるそうです。お寺の中にあった私立小学校で、貧困家庭の児童に無料で食事を提供したのが始まりでした。お坊さんが寄付を集めて、週6日の食事を賄ったといいます。「最初から、食べられない子どもたちに食べさせようというのが給食の原点。どんな教育よりもご飯を食べられることのほうが大事だよね、というのが根底にある」と冨名腰記者は話します。その後、関東大震災(1923年)では被災地の学校で炊き出しが行われ、東日本大震災(2011年)でも給食室が避難所の食事づくりに使われました。給食の設備は、災害のたびにその存在意義を証明してきたのです。「無償にしたら社会主義になる」戦後、日本の学校給食を方向づけたのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の公衆衛生福祉局長だったクロフォード・F・サムスという人物でした。栄養失調の子どもたちにアメリカからの支援物資(脱脂粉乳や小麦粉)を届ける一方で、サムスは1948年の会議でこう述べたといいます。「無償で給食を与えるのはだめだ。政府が何でもしてくれるという間違った考えは、社会主義の国へと発展していく」当時は冷戦の入り口。西側陣営にとって、福祉の拡大が「共産主義への道」と警戒される空気がありました。この考え方が、1954年の学校給食法で「保護者負担」が明文化される土台になったとされています。さらに、のちに首相となる池田勇人(当時の大蔵大臣)も「すべての生徒に給食を食べさせることは社会主義で、教育上に何の意味もない」などと発言。これに対し、文部大臣の天野貞祐は「給食によって、生徒は他人の弁当を見たり、偏食したりすることもなくなる。礼儀も教えることもできる」という趣旨の反論をしたそうです。「自分で賄うべきだ」と「子どもの食は社会で支えるべきだ」。この綱引きは、形を変えながら現在まで続いています。アメリカの小麦が変えた食卓保護者負担の原則が固まる一方で、給食の中身にはアメリカの事情が色濃く反映されていました。1952年から54年にかけて、アメリカでは小麦が大量に余剰となり、日本が総額5千万ドルで買い入れることが決まります。この流れのなかで、学校給食にはパンや脱脂粉乳が定着していきました。冨名腰記者は「この辺りから給食のパン、小麦粉、パスタが全国に広まり、日本人の食文化が変わっていった」と指摘します。給食が「保護者の負担」とされた背景には、冷戦のイデオロギーだけでなく、アメリカの農産物の販路確保という経済的な力学もあったのです。変化の波は、まず小さな町から長く続いた保護者負担の原則に風穴を開けたのは、2010年代以降の動きでした。きっかけの一つは、2008年のリーマン・ショック。家計が苦しくなり、就学にかかる費用の支援を受ける児童・生徒が急増します。2000年に98万人だった対象者は、2011年には161万人に。2023年時点でも約122万人、全体のおよそ7人に1人が何らかの支援を受けている計算です。もう一つは、少子化対策としての福祉政策の転換。高齢者中心だった社会保障の軸が、子ども・子育て支援へと移り始めました。最初に給食費の無償化に踏み切ったのは、人口規模の小さな町村だったといいます。子どもの数が少ないからこそ実現しやすく、「このままでは子どもがいなくなる」という危機感が後押ししました。2017年度時点で全額無償化を実施していた自治体は76。それが2023年には547にまで増えています。ただし、自治体ごとの対応に差が出ることで、「隣の市はタダなのに、うちは払っている」という格差も生まれました。この不公平感が、国による一律の支援を求める声につながっていきます。まだ決まっていない「来年」のこと2025年2月、当時の与党・自民党と公明党に日本維新の会を加えた三党合意により、2026年度から小学校の給食費に国庫負担を導入する方針が決まりました。「給食無償化」支給は1人月5200円 3党が合意、対象は公立小しかし、実際に予算を組む段階で壁にぶつかります。全額を国が持つはずが、「お金がないから半分は都道府県で」という話になり、全国知事会から強い反発が起きたそうです。結果として、今年度はひとまず国と都道府県で折半するかたちで決着しましたが、来年度以降の財源は未定のままです。しかも、中学校への拡大や、年度途中の食材費高騰への対応など、課題は山積みです。冨名腰記者は「もしものすごい値上がりが来たら、『今日は白米とめざし1匹で』なんてことになりかねない。何のための無償化かわからなくなる」と指摘します。だからこそ、正式には「給食無償化」ではなく「学校給食費の負担軽減」という慎重な表現が使われているのだといいます。同じ釜の飯が持つ力冨名腰記者はこう語ります。「給食はみんなで家庭の人以外と食事する最初の機会。食事の社会性を身につけるという意味では、大きな教育効果がある」偏食だった子どもが給食で初めて食べた食材がある。経済的に厳しい家庭の子が、給食のおかげで1日に必要な栄養を取れている。家庭の事情を「見えなくする」ことで、子どもたちの間に余計な格差意識を生まない。そうした機能を、給食は静かに担ってきました。神田記者も、名古屋の中学校に給食がなかった時代を振り返り、「シングルマザーで朝早くから働いている母が弁当を作らなきゃいけなかった。そのうえ校長が『必ずおかずを3品入れて』などと言う。給食があった方がいいに決まっている」と話していました。今年の年末から年明けにかけて、来年度予算の審議が本格化します。給食費の財源をどうするか。中学校にも広げるのか。その議論のゆくえは、「子どもの食を誰が支えるのか」という、この社会の優先順位そのものを問うことになります。私たちは子どもたちの昼ごはんに何を託しているのか。答えを急がず、少し立ち止まって考えてみたくなる問いが、この対話のなかに静かに残っていました。番組紹介「報談」は、同期入社のアラフィフ記者2人が、いま気になるニュースを語り合う朝日新聞ポッドキャストです。冨名腰隆と神田大介が、朝のソーセージパンの話などたわいない雑談から始まりつつ、ニュースの奥にある「なぜ?」をほぐしていきます。雑談のような語り口が、かえって本質的な問いを浮かび上がらせます。【全話無料!】 「報談」の配信一覧はこちら番組を振り返って(冨名腰・神田より)(冨名腰)配信後、元管理栄養…







