論説委員・浜田陽太郎印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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「時をよむ」論説委員室から 15日付の本欄で、2004年の制度改革の際、厚生年金の保険料率が18.3%で固定された経緯を振り返った。背景には「年金額の維持より、保険料を払う側の事情を第一に考える」という理念の転換があった。政治の均衡点だった年金「負担」18.3% なぜ固定されたのか 負担は固定し、その範囲内で年金を賄うという考え方に、私が最初に触れたのはその3年前だ。 01年夏、私は同僚と2人で「高校生と社会保障を取材する」という連載記事を担当した。年金に挑んだのが、滋賀県立彦根東高校新聞部の生徒たち。全国新聞コンクールで最高賞を受けていた。 新聞部員たちは、厚生労働省や財務省も取材し、「主張」をまとめた。その一つが「負担水準固定したら?」。おおむね、こんな内容だ。 ――これまでの年金制度は、給付と負担のバランスが崩れると保険料を値上げした。その場しのぎであり、長期的な視点に欠け、一貫性がない。 思い切って、月収20%など保険料の負担水準を固定してはどうか。 給付は、人口構造や景気に左右される。しかし、政府のさじ加減でコロコロ変わる現行制度より、社会の変化に沿っていて納得できる――。(全文をこの記事の末尾に再掲) 書いたのは2年生、17歳だった中嶋優太さん。その後、京都大大学院で哲学を学び、今は石川県立看護大で教える。 先日、41歳になった中嶋さんに再会した。場所は、彼が7年半勤務した石川県西田幾多郎記念哲学館(かほく市)。今も定期的に「哲学カフェ」を開く場でもある。 考え方の変化はありましたか、と聞くと「誰も損しないためには、ゲームのルールを変えなくすれば公平になる、人口構造が変わっても維持できる完璧な制度をつくればいい――。当時は、そう思っていました。でも、給付を削られる痛みへの想像力はなかった」という答えが返ってきた。 そして、西田哲学にある「絶対矛盾的自己同一」という言葉を紹介してくれた。 「私でないものになることでしか、私は私でいられない」という意味で、「同じであり続けるには、変化しなければならない」という教えが含意されているという。 負担の上限固定という考え方は妥当だ。でも、「完璧な制度」は存在せず、常にメンテナンスし続けなければ、制度の価値は守れない。 個人の損得ではなく、よい社会を守るという視点で考える――。中嶋さんは、そんな哲学徒へと変貌(へんぼう)を遂げていた。 2001年8月16日付の朝日新聞で、高校2年生だった中嶋優太さんが年金を論じた主張を再掲します。○負担水準固定したら? 【中嶋優太=2年】年金制度は働いている現役世代がその時の老人を支える「賦課方式」になっている。だからこの制度を考えるときは、現役から老後までの40年、60年という長いスパンで考えなくてはいけない。 ところが今の日本の年金制度…この記事は有料記事です。残り554文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人浜田陽太郎論説委員|社会保障担当専門・関心分野社会保障、定年後関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする







