インタビュー弥生人が「銅鐸」に込めた思いとは 考古学者に聞いた最新弥生文化論塚本和人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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弥生時代の青銅製の祭り(マツリ)の道具、銅鐸(どうたく)。日本史の教科書では、主に近畿地方に分布し、九州北部とは異なる文化圏を形成したと語られる。近著で銅鐸から弥生人の心に迫った奈良県の桜井市纒向(まきむく)学研究センター所長で、考古学者の寺沢薫さん(75)に最新の銅鐸論を聞いた。 寺沢さんは1976年、県立橿原考古学研究所に入所してから銅鐸研究を始めた。全国に現存する500個以上の銅鐸のうち、計378個を約20年かけて自分の目で観察。古代中国の史料や民俗事例も踏まえて2010年に研究書にまとめた。 その後、「こんな面白い銅鐸をもっと広く知って欲しい」と考え、一般書を計画。今年4月、カラー写真や図像を多く入れた「銅鐸の世界」(新泉社)を出版した。 銅鐸の原型は紀元前3世紀ごろに朝鮮半島でつくられた小銅鐸。その祖型は中国の黄河下流域~東北部などに分布する馬鐸(ばたく)や銅鈴(どうれい)にさかのぼり、音を鳴らす道具だったとみられる。 寺沢さんは、近畿で銅鐸が採用された背景を探った。まず、弥生時代に広まった稲作の実態を検証。実験考古学や民族学の資料などで試算することで、弥生時代のコメの生産性と生産力が低かったことを示した。「弥生人はコメを主食とした米食民で、余剰米の蓄積が富や権力を生む根源だったという思い込みは捨て去らねばならない」銅鐸に描かれた絵画の意味を探ってみると また、九州北部と近畿では異…この記事は有料記事です。残り1057文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人塚本和人橿原支局長|寺社・文化財専門・関心分野歴史、考古学、外交、国際関係関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






