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盛岡市で盛大に開催される「さんさ踊り」を2日後に控えた7月30日。祭りに負けない熱気に満ちていたのが、市立北陵中学校の音楽室だ。 おそろいのブルーのTシャツを着た45人の吹奏楽部員は、顧問18年目の教諭、吉田哲(さとし)の指揮に合わせ、吹奏楽コンクールの課題曲として取り上げるマーチ《あつまれ おもちゃのマルチャ!》(伊藤士恩作曲)の合奏練習をしていた。 「じゃあ、トリオ(中間部)のところ、歌ってみようか」 吉田の言葉に部員たちは立ち上がると、足踏みをしながら歌い始めた。 「踏み出せ そう自由に みんなで力合わせ 手取り合って 笑って描こう 夢の舞台を……」 それは部員たちが思いやイメージ、表現を統一するため、話し合ってつけた独自の歌詞だった。「夢の舞台」とは、10月31日に浜松市で開催される全日本吹奏楽コンクールのことだ。 北陵中吹奏楽部はその出場権をかけた東北大会を8月23日に控えている強豪バンドなのだ。 ♪果たせなかった全国大会への連続出場 悲劇と希望の曲で再挑戦 北陵中の部員たちは明るく積極的。特に、リーダーであるふたりの3年生、部長の近藤綺音(あやね)(トランペット)と学生指揮者の羽田野百華(ももか)(アルトサックス)は、運動も得意で元気いっぱいだ。 ともに同じ小学校で4年生から吹奏楽を始めたふたりは大の仲良し。毎日一緒に登校し、部活に熱中している。 普段はたわいのない会話をするが、コンクールシーズンになると「あの部分、やっとかないとね」「お互い、気持ちを上げていこうね」などと部活の話が中心になるという。 ふたりが入部した2024年、北陵中吹部は2度目となる全日本吹奏楽コンクール出場を果たした。県内で全国大会に出場したことがあるのは北上市立上野中学校と北陵中だけだ。 当時の思い出を綺音はこう語る。 「3年生に引っ張ってもらって、全国のステージで吹けたのはうれしかったです。私は小学校までホルンだったので、トランペットでコンクールに出るのも初めて。緊張で心臓がバクバクしました」 百華は各地から集まる中学校から学ぶ点が多かったと言う。 「小学校のころに東日本学校吹奏楽大会に出ていましたが、全国大会は初めての経験。他校は、演奏はもちろん、あいさつとかもすごくて、私たちも見習わないとと思いました」 中2になった25年も全国大会への連続出場を狙ったが、結果は東北大会銀賞。悔しい結果となった。 ♪ 授業で技術科を受け持っている吉田は、今年64歳のベテラン指導者だ。いま、県庁所在地の盛岡市でも少子化は進行しており、吉田が着任したころ1学年7クラスあった北陵中も、いまは4~5クラスへと大きく減少しているという。 市内の吹奏楽部でも小編成化が進んでおり、単独で演奏会を開けないところも増えた。そのため、吉田は日曜合奏講座を開講するなど、地域の吹奏楽の火を消さない取り組みを続けている。 ただ、北陵中は生徒数が減っても、部員数は50人前後と一定している。その半数は小学校から始めた経験者たちだ。 26年、吉田が選んだコンクールの自由曲はマルコム・アーノルド作曲《ピータールー序曲》。19世紀のイギリスで実際に起こった政治集会の弾圧事件を描いた曲だ。吉田は言う。 「部員たちには、事件を映画化した『ピータールー マンチェスターの悲劇』を見せ、曲の背景を理解させました」 選曲には、イギリスの事件だけにとどまらない、東北ならではの背景があると吉田は語る。 「平和から混沌(こんとん)、悲劇を経て希望へと至る曲の構成が、東日本大震災を思い起こさせるんです。11年当時、私はスコップを持って被災地の支援に行きましたが、信じられないような光景が広がっていました」 あれから15年が経ち、現在の部員はすべて震災後に生まれた子どもたちだ。かつての東北の平穏な日々から、未曽有の災害、そしてまだ完全とは言えないまでも、復興を果たし、人々が祭りを楽しめるようになった現在まで――。吉田が持つ震災前後の記憶が《ピータールー序曲》の音楽に重なっているのだ。 一方、部員たちも深みとリアリティーを表現できるように工夫していると百華は語る。 「私たちは人の死を身近に受け止めたことがないので、イメージが難しいところがあります。たとえば、『ここは嘆くような部分』と言われたとき、どう演奏したらいいのか悩んでしまいます」 百華たちは、部員同士でイメージを語り合い、膨らませながら《ピータールー序曲》をつくり上げてきた。 ♪「音がずれてやばかった」予選を切り抜けて 「10年おき、という流れを今年は破りたいんです」と百華は言う。 北陵中の全国大会初出場は14年、2回目は24年だった。吉田は部員たちに冗談めかして「このままだと次は2034年だぞ」と言ったこともある。 実際、26年のコンクールは、県大会の予選にあたる地区大会から大ピンチだった。 「音がずれて響いていて、やばかったです……」と綺音が語るように、演奏は粗く、なんとか県大会には行けたものの順位は低かった。とても全国大会が狙える位置ではなかったのだ。 「3年生と後輩たちの意識の違いが気になりました。そこで、『3年生は行動で見せよう』ということになり、積極的にあいさつをしたり、大きな声で返事をしたり、練習の開始時間の前には音楽室に集まったり、といったことを心がけました」 その努力が実ったのは、なんと県大会直前だった。綺音は言う。 「最後の1日の、最後の1時間が大きかったです」 翌日に本番を控え、部員たちは最後の1時間を「自分たちで使っていい」と吉田から許可をもらった。そして、各パートやセクションで「ここを練習したい!」と自主的に練習に取り組んだ。百華はこう振り返る。 「特に、1、2年生の変化が大きかったです。私たち3年生と同じ方向に向かって動き始めてくれて。部がひとつにまとまりました」 県大会本番では、北陵中らしい明るく、力強い演奏がホールに響いた。しかし、出場校には全国大会常連の上野中のほか、実力あるバンドが多い。綺音は言う。 「自分たちの演奏はやりきれたと思いました。でも、ほかの中学校の演奏を聴いているとみんな上手なので、まじで不安になりました」 百華も同じ思いだったという。 「吉田先生は『言語化したら、そのとおりになるよ』と話していたので、私は口では『大丈夫、大丈夫』と言っていましたが、『もし代表に選ばれずにここで終わりになったら……』とつい考えてしまいました」 審査結果は金賞。審査員からは高評価を受け、東北大会への切符を手に入れたのだった。 ♪ 音楽室の壁には「目指すは感動と浜松」と大きく書かれた紙が貼られている。「目指すは感動」は吉田の赴任前からあったもので、「と浜松」の部分は全国大会の会場に合わせて書き換えている。全国大会初出場のとき、「と名古屋」を付け加えたところ実現できたため、いまも継続している。 26年は地区大会、県大会、東北大会がすべて同じトーサイクラシックホール岩手(盛岡市)で開催される。地元の北陵中にとってはチャンスだ。 綺音と百華は「去年悔しかったから、今年は全国に行くしかないと思っています」「部のみんな、それから、長年ここで指導してくれている吉田先生といっしょに全国に行きたい」と意気込む。 「踏み出せ そう自由に みんなで力合わせ 手取り合って 笑って描こう 夢の舞台を……」 自分たちで考えた課題曲の歌詞が、まるでテーマ曲のように盛岡のまちに響いている。(敬称略) × × ×オザワ部長 吹奏楽作家。神奈川県立横須賀高校から早稲田大学第一文学部文芸専修卒。ペンネームは「架空の吹奏楽部の部長」という設定から。吹奏楽部を舞台にした小説やノンフィクションなど著書多数。 2025年3月には、ノンフィクション書籍「吹部ノート 12分間の青春」(日本ビジネスプレス)が刊行された。吹奏楽情報サイト「青春ブラボー吹奏楽部」(https://suisougakubu.net/)も運営している。






