松山名物「労研饅頭」 謎めいた名の蒸しパンに、人間愛の歴史あり2026年8月8日 11時30分宮沢崇志印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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松山市の名物として知られる「労研(ろうけん)饅頭(まんとう)」。素朴な味の蒸しパンに、なぜこんな謎めいた名前がついているのか。市在住の編集者でライターのもりみつこさんが、その歴史と関係者がつむいだ物語を1冊の本にまとめた。書名はシンプルな「労研饅頭ものがたり」。地元の創風社出版から5月末に発行された。 労研饅頭の誕生は1929(昭和4)年。当時、岡山県にあった倉敷紡績(現・クラボウ)の工場で働く女子工員の栄養問題を解決するため、社長が創設した倉敷労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)で開発した主食代用品だった。「まんじゅう」ではなく「まんとう」 「労研」は研究所の名前から。旧満州(今の中国東北部)で食べられていた饅頭(まんとう)にヒントを得たから、「饅頭」の読みも「まんじゅう」ではなく「まんとう」になった。 創風社出版から「労研饅頭について書かないか」と声をかけられたもりさんは、調べるなかで、研究所の所長で労研饅頭の生みの親の暉峻(てるおか)義等(ぎとう)(1889~1966)に強くひかれたという。 戦前は全国各地で作られていた労研饅頭。倉敷労研が業者に求めた製造販売許可規定の第1条には「人格高潔にして」という文言があったことがわかった。もりさんは「暉峻博士の高い理想が込められていると感じ、感動を覚えました」。 労研饅頭が松山に伝わった経緯には、キリスト教関係の人のつながりがある。プロテスタントの宣教師が創設した松山夜学校(現在は全日制の松山学院高校)では、夜学生の就職先が問題になっていた。そこで授産事業として注目したのが労研饅頭だった。キリスト教関係者の縁で松山へ 敬虔(けいけん)なクリスチャンで数学教師だった竹内成一(1892~1954)が中心になり、労研饅頭の製造を始めた。竹内は、現在、労研饅頭を製造販売する「たけうち」の創業者だ。食糧不足で休業を余儀なくされた戦時中、労研饅頭の製造に欠かせない酵母菌を守り続けた、という逸話ももりさんは書籍のなかで紹介した。 市場に出た労研饅頭が人気商品になったように、もりさんの調査も全国各地に広がった。ピークの1933(昭和8)年前後には、全国に80軒ほどの製造業者が存在したらしいこともわかった。 中断を挟みながら、取材と調査には数年かかった。執筆にあたり、読み物としての親しみやすさと、正確さの両立を図ったという。図や写真も多く掲載し、4部構成の各部の冒頭にはそれぞれの内容の要約も付けた。 「労研饅頭をとりまく人たちは、みな筋金入りのヒューマニストでした。地元の名物の背景にある貴重な歴史や人々の思いを知ってもらいたい」 「労研饅頭ものがたり」はA5判182ページで税込み1815円。愛媛県内を中心に全国の書店や、通販サイトなどで購入できる。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません