ストーリー「苦しんだ人全員を記憶する責任」 米兵だった叔父の最期地を訪ねて木野村隆宏 翁長忠雄印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
[PR]
太平洋戦争末期に広島で捕虜となり被爆死した米兵のおいが、初めて広島を訪れた。戦後81年となる今年、叔父が亡くなる直前の足跡をたどって、何を感じたのか。 米西部ラスベガスのロバート・タタロビッチさん(66)が6月、娘のヘイリーさん(30)と来日した。3月に亡くなった被爆者で歴史研究家の森重昭さんの妻・佳代子さん(84)らに案内され、各地を歩いた。 タタロビッチさんの叔父ジョセフ・ダビンスキーさんは1945年7月28日、B―24爆撃機「タロア号」の操縦士として呉沖の旧日本軍の軍艦への攻撃に向かった後、音信不通となった。 その後の足跡を調べたのは、被爆死した米兵を調べ続け、米大統領だったオバマ氏と広島で対面したことでも知られる森さんだった。 調査では、タロア号は日本軍に反撃され現在の広島市佐伯区に墜落。ダビンスキーさんは捕虜として現在の中区にあった中国憲兵隊司令部に収容された。原爆が投下され、27歳で亡くなった。終戦から50年後、日本から届いたFAX タタロビッチさんが亡き母ら…この記事は有料記事です。残り2217文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人翁長忠雄広島総局専門・関心分野中東、東南アジア、原爆、沖縄関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






