ストーリーディズニー風壁画残した米軍人は誰?祖母の記憶からたどった「占領」石橋英昭印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

[PR]

優しかった祖母の家には、ちょっと変わったディズニー風の壁画があった。80年近く前、戦争に負けた日本を占領しにやってきた米軍人が、接収した住宅に残していったものだ。盛岡市の会社員・中島航(なかしまこう)さん(33)は祖母の記憶に導かれるように、あの時代のことを調べている。 家は、中島さんの祖母の祖父にあたる菊池俊司さんが建てた。まち中心部の盛岡城跡のそばだ。 盛岡に進駐軍がやってきたのは、降伏文書調印から2週間後の1945年9月中旬。占領政策を指示する軍政部は、岩手教育会館に陣取った。菊池邸は近くにあったため、将校や下士官用として接収されたらしい。47年前後とみられる。「やってきた将校は、靴を脱いで家に入った」 祖母・菊池恵美子さんは当時5歳。「入ってきた米軍人は礼儀正しかった。土足で上がろうとしたが、家人が靴を脱いでいるのを見て、それにならっていた」と昔話をするのを、中島さんは聞いた。 住まいをとりあげられた一家は、借家を転々とした。サンフランシスコ平和条約が発効した52年4月、日本は主権を回復し、進駐軍はまちを去り、家は返還された。 ただ元通りではなかった。畳の間は板張りに変えられ、ボイラー室が増築されていた。子ども部屋に使ったとみられる一室に描かれていたのが、色鮮やかなキャラクターの絵4枚だ。アヒル、ネズミ、ピエロ……。「大切な記録」 家改築時も壁画を移して保存 恵美子さんはこの家に戻って…この記事は有料記事です。残り1168文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人石橋英昭盛岡総局員専門・関心分野東日本大震災、在日外国人、戦争の記憶関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする