ストーリー「まじめで紳士」焼け野原で出会った留学生ら 背景に日本の占領政策木野村隆宏印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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戦時中の広島に、東南アジア諸国から来日して被爆した「南方特別留学生」がいた。日本人との交流や、背景にあった日本の占領政策を伝える企画展が、広島市の平和記念資料館で開かれている。 同館が外国人被爆者に焦点をあてた企画展をするのは初めてといい、担当者は「日本の占領政策に翻弄(ほんろう)され被爆した外国人がいることや、その中でも国を超えたつながりや助け合いがあったことを知ってほしい」と話す。 《オマル君は京都帝大病院に入院して(中略)死去されました。誠に御気の毒ですネ。あんな元気であったのに……》 原爆投下の約1カ月後。妹らが疎開していた広島県久地村(現広島市安佐北区)にいた栗原明子(めいこ)さん(100)の元に一通の手紙が届いた。 送り主はアブドゥル・ラザクさん。被爆直後に出会ったマライ(現マレーシア)出身の留学生だ。手紙は東京で投函(とうかん)され、端正な日本語の文字でつづられていた。 「オマル君」は同郷の留学生、サイド・オマールさん。通っていた広島文理科大(現広島大)の寮で被爆した。爆心地から900メートルだった。 《病気ははっきり解(わか)りませんが然(しか)し原子爆弾の影響に違ひない》広島に24人、マライ出身の2人が死亡 広島大などによると、オマー…この記事は有料記事です。残り2044文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする