インタビュー聞き手・編集委員 谷津憲郎印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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1945年にあった沖縄戦で、上陸した米軍は膨大な量の写真を残した。それと同じ場所に立って、同じ画角で写す。北九州市の水ノ江拓治さん(67)は、在野の研究者として、そんな取り組みを続けてきた。約150カ所の様子を比較した「沖縄戦場定点写真集」(パブリブ)は、想像を絶する苦労の結晶だ。いったい81年前の写真から、どうやって撮影地を探り出したのか。本人にたずねた。(白黒写真は、すべて沖縄県公文書館所蔵) ――撮影地点をピンポイントで特定していることに驚きます。作業は何から始めたのですか? 「沖縄県公文書館へ行き、米軍の撮影した写真を選ぶところからです。撮影場所を特定しやすいのは、山や海、川、道、家などの背景が写っている写真。今回は本島北部を探そう、などと決めて、該当する写真をひたすら接写しました」 ――といっても、沖縄戦の写真は県公文書館に山ほどあります。 「全部で何枚あるんでしょうね。とにかく全て見ました。あんまり通ったので、職員の方に覚えられてしまいました」 ――米軍のつけた写真説明には、詳しい撮影場所や日時がないことも珍しくありません。 「間違っていることも多いんです。名護で、と書かれた写真が、実際には恩納村で撮られていたこともあります。なので公文書館では、米軍の撮った沖縄の航空写真と、それをもとにつくられた古い地図も入手しています。この存在はかなり大きいです」 ――そんなものがあるんですか。 「沖縄戦の直前、また戦後す…この記事は有料記事です。残り1468文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人谷津憲郎編集委員専門・関心分野沖縄、公文書、社会心理、ことば関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする