現場から沖縄戦で一家全滅した家の跡をたどる 「生きた証し」の小さなほこら伊藤和行印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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沖縄は6月23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎える。 81年前の沖縄戦は、住民を巻き込む地上戦となり、軍民合わせて20万人以上が命を落とした。戦後、生存者は亡き家族を弔い、記憶を語り継いできた。だが、それすらかなわぬ家族もあった。その跡をたどった。【動画】沖縄戦の一家全滅の家跡をたどる=小宮路勝撮影 沖縄本島南部の糸満市の米須(こめす)地区は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍とアメリカ軍の最後の激戦地となった場所だ。周囲には、ひめゆり学徒隊を悼む「ひめゆりの塔」などの慰霊碑が点在し、観光バスが行き交う。 集落を歩くと、新しい家が立ち並ぶ一角に、戦前のままの石垣で囲まれた敷地が点々とある。雑草が茂る空き地に見える場所に近づくと、中央にコンクリートブロックを積んだ建物がひっそりと立ち、内部に位牌(いはい)や香炉が置かれていた。まるでここだけ時間が止まったかのようだ。 「一家全滅の家の跡です。家族全員が死んで家を継ぐ人がいなくなったため、祭壇をもうけて親族や地域の人が拝む場所にしています」 集落に住む久保田宏さん(85)が説明してくれた。 一家全滅――。地元では「チネードーリー(家族が倒れる)」とも呼ばれる。戦争で家族ごと奪われ、住む人がいなくなった家の跡だ。米須字誌(あざし)によると、当時の集落にあった257世帯のうち62世帯が全滅したという。どうせ死ぬなら、きれいな水と空気を 1945年6月上旬、本島南部は米軍に追い詰められた日本軍が押し寄せ、軍民入り乱れた戦場となっていた。 久保田さんは当時4歳だった…この記事は有料記事です。残り1425文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人伊藤和行那覇総局長専門・関心分野沖縄、差別、マジョリティー、生きづらさ関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする