2026年6月22日 19時00分印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするこの社説のポイント●6月23日は沖縄で日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる「慰霊の日」だ●沖縄戦の体験を語れる人が少なくなるなか、新たな継承の形の模索が続く●先の戦争の記憶や教訓を若い世代につなぐ重要性は沖縄だけの問題ではない

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1945年6月23日、太平洋戦争末期の沖縄で、住民を巻き込んだ苛烈(かれつ)な地上戦の末、日本軍の組織的な戦闘が終わった。今年は戦後81年の「慰霊の日」となる。 日米の犠牲者が約20万人にのぼり、県民の4人に1人が命を落とした記憶は、今もこの地に横たわる。ただ、沖縄戦を自らの体験として語れる人が少なくなるなかで、その記憶を次の世代へどう継承していくかは切実な課題だ。 沖縄県豊見城市の豊崎中学校。6月の社会科の授業で、池間大輔教諭(45)はまず、生徒たちに目を閉じるように言い、艦砲射撃の爆音を教室に流した。目をあけさせると、砲弾が炸裂(さくれつ)した跡がすきまなく地上に広がる映像を見せ、実物の砲弾の破片を手渡した。ずしりと重い。 15~19歳で動員されたひめゆり学徒隊の解散命令の話に進む。壕(ごう)を出てそれぞれ行動するよう命じられ、多くが命を落とした。その場に自分がいたら、解散命令に賛成か、反対か。逃げるならどの方向か。生徒たちは地図を囲み、それぞれ答えを探る。 「最後までみんなと一緒にいたい」「一人は怖いけど、みんなでいると狙われやすくなる」。破片を見つめ、「こんなものが飛んでくる中で、本当に逃げられるのか」とつぶやく生徒もいた。迷いを言葉にすることで、沖縄戦を自分に引き寄せる。 池間教諭は、もともと戦争の悲惨さを伝える授業をしていたという。だが、それだけでは「知った」で終わりかねない。体験者の直接の語りに触れにくくなる時代に入り、知識を教え込むのではなく、自ら感じ、どう考えるかを問う授業へと軸足を移した。 一方、こうした模索に影を落とす動きもある。文部科学省は5月、同志社国際高校の生徒が亡くなった辺野古沖の事故を受け、同校の平和学習が政治的中立を定めた教育基本法14条2項に違反すると認定した。重大事故を招いた学校と市民団体の責任は極めて重いが、沖縄の教育現場では、平和教育が難しくなるとの懸念が広がる。 沖縄では在日米軍基地の集中に伴う過重な負担が今も続く一方で、辺野古沖の埋め立てを強行し続けるなど、今の政府に沖縄の苦難の歴史を顧みる姿勢は見られない。 沖縄に限らず、先の戦争の体験者はいずれいなくなる。教育現場が萎縮していては、大切な記憶や教訓が継承されない。若者たちが、自ら考え、迷い、言葉を探す。それを支える学びの場をどう守り、広げるか。それは決して沖縄だけの問題ではない。【そもそも解説】沖縄戦とは 死者20万人、80年前の「鉄の暴風」「社説digital」は、朝日新聞朝刊に掲載する社説をいち早くお届けします。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする