「戦争反対は空虚な理想論ではない」 沖縄「慰霊の日」戦没者追悼式2026年6月23日 6時00分(2026年6月23日 17時37分更新)有料記事滝口信之 棚橋咲月 編集委員・谷津憲郎 金子和史印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする【動画】慰霊の日を迎えた、摩文仁の平和祈念公園で早朝から祈る遺族ら=藤原伸雄、金子和史撮影

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沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった戦没者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。人々は各地で犠牲者に思いをはせ、平和を願った。戦後81年、平和願う追悼式 23日午前11時50分から、沖縄県糸満市の県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が営まれた。 玉城デニー知事は、「大国の力による一方的な現状変更の試みによって国際秩序が揺らいでいる」と指摘。他国の戦争であっても生活に深刻な影響を及ぼしているなどとして、あらゆる戦争に反対し、平和を実現することは「空虚な理想論ではなく、取り組むべき責務」などと訴えた。 式典には、高市早苗首相が昨年10月の就任後初めて沖縄を訪れて出席したほか、衆参両院議長、県遺族連合会会長、在沖米軍関係者ら3200人が参列した。 沖縄戦では、アメリカ軍が1945年3月末に慶良間諸島に、4月に沖縄本島に上陸し、3カ月にわたって地上戦が繰り広げられた。日米合わせて約20万人が犠牲となり、県民の4人に1人が亡くなったとされる。【そもそも解説】沖縄戦とは 死者20万人、吹き荒れた「鉄の暴風」 戦後、米統治下に置かれた沖縄は基地が集中し、日本復帰後54年たった今も国内の米軍専用施設の7割が置かれている。玉城氏は、平和宣言のなかで、今年が普天間飛行場の返還合意から30年たつことにふれ、「一方的な押しつけではない、日米両政府と県の対話による解決を求めている」と訴えた。【全文】玉城デニー知事の平和宣言 高市首相はあいさつで「私たちが享受している平和と繁栄」が「沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれた」とし、米軍基地については「戦後80年を経た今もなお、大きな負担を担って頂いている」として基地の整理縮小や跡地利用を進める、と述べた。【全文】高市早苗首相あいさつ 式では中学2年の亀谷琉奈(るな)さん(14)が「生きたいと願った証(あかし)」と題した平和の詩を詠んだ。曽祖母の戦争体験をもとにした亀谷さんは式典後、「体験を語り継ぎ、慰霊の日など機会があるごとにみんなと平和について考えていきたい」と述べた。【全文】平和の詩「生きたいと願った証」早朝の沖縄、祈る遺族 沖縄戦で多くの犠牲者が出た糸満市摩文仁では、23日朝早くから遺族や戦争体験者らが亡くなった人を悼み、平和を願った。 戦没者の名前が刻まれている平和祈念公園内の「平和の礎」。浦添市の善平(よしひら)光枝さん(82)は、夫の祖母や母、姉の名前が刻まれている礎の前で手を合わせていた。「平和な世の中であることを見守っていてください」 沖縄本島北部の恩納村で生まれ、当時1歳だったため戦争の記憶はない。戦後、当時の体験を母から聞かされた。泣き虫だったため、壕(ごう)などに隠れる際は近所の人から冷たい視線を浴び、母が口を押さえて泣きやませようとしたという。「戦争は人間の性格までも変えてしまう。絶対に繰り返してはいけない」と訴えた。 礎には沖縄戦の犠牲者だけでなく、満州事変に端を発する「15年戦争」で亡くなった沖縄県出身者の名前も刻まれている。沖縄市の大嶺美代子さん(87)は、娘の多美会(たみえ)さんとともに訪れ、フィリピンで亡くなったとされる義理の父の名前にむかって手をあわせた。礎が完成した1995年以来、毎年のことだ。「今年も来ましたよ。孫たちが幸せになるように見守ってください」 沖縄戦当時、幼かった自分は…この記事は有料記事です。残り1091文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません