コラム・寄稿高市首相の「決める政治」は、取り繕いの政治 論説主幹・佐藤武嗣論説主幹・佐藤武嗣印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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高市早苗首相は、「決断と前進の内閣」と自負し、国論を二分する政策の断行を掲げ、「守るだけの政治に希望は生まれない」と主張する。そんな姿勢が現状打破への期待を抱かせ、頼もしく魅力的に映ることもあるだろう。 だが、首相が装う「決める政治」は、国家の大計を担う使命感、責任感というより、権力に執着した、取り繕いの政治に見える。国会最終盤での混乱も場当たりを象徴している。 国旗損壊処罰法や最後まで紛糾した副首都法も首相の座ほしさに日本維新の会と短慮で結んだ約束を履行しようとのつじつま合わせ。不正確な台湾有事発言、男系男子固執の皇室典範改正も、信条というより右派から喝采を得んがため。衆院選で他党に遅れまいと公約した消費減税は、財源も示さず体裁を保つのに汲々(きゅうきゅう)とする。そう私には映る。 長期的視野に立ち、既得権益を打ち破る「決める政治」は時に必要だ。しかし、歴史を見れば、乱用、悪用が民主政治をゆがめ、専制的、独裁的振る舞いに姿を変える。それを防ぐガードレールとなるのが「説明責任」と「熟議」だ。権力者には自覚が求められるが、首相の軽視は甚だしい。 「説明責任」は、民主主義を…この記事は有料記事です。残り1172文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人佐藤武嗣論説主幹専門・関心分野外交、安全保障、国際情勢、民主主義、ジャーナリズム関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






