高市首相の「決める政治」の危うさ 私達の民主主義はどこへ向かうか編集委員・園田耕司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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2月の衆院選での自民党の歴史的大勝後、初めて開かれた特別国会が最終盤を迎えています。約5カ月間の国会審議を見て、私は高市早苗首相の政治姿勢は、野党側と徹底的に議論する「熟議」による合意形成よりも、迅速な政策決定と実行を重んじる「決める政治」を重視していると強く感じています。 確かに、安全保障環境の劇的な変化や刻々と変わる経済情勢に対応し、国民生活に対する成果を早期に出すためにも「決める政治」は重要です。けれども「決める政治」の偏重には、野党など批判勢力の意見を軽視し、議会制民主主義を形骸化させるという落とし穴も待ち構えています。 本日のニュースレターでは、この「決める政治」偏重の危うさと「熟議」との関係を取り上げたいと思います。この記事のポイント●高市政権の「決める政治」への偏重。その陰で「熟議」が失われるリスクとは何か●選挙での圧勝は「白紙委任」なのか。議会制民主主義における野党の存在意義を考える●民主主義はなぜカタストロフィー(大惨事)を防げるのか。経済学者アマルティア・センの研究から考える高市首相の国民から「信任を受けている」という強い自負心 首相率いる巨大与党は今国会で、審議時間わずか59時間という異例のスピードで2026年度当初予算案を衆院通過させたことを皮切りに、国家情報局を創設する関連法の成立、皇室典範改正や国旗損壊処罰など「国論二分」の重量級の法律に次々と取り組みました。これらは歴代内閣の政策を抜本的に変える性格を帯び、本来ならそれぞれが一つの通常国会の期間を使って徹底的に与野党間で議論される法律だったと思います。 とくに皇室典範改正をめぐっては、世論調査で女性天皇容認が多数派を占めるなど、国民世論と改正内容との乖離(かいり)も大きい中での採決は将来に大きな禍根を残しかねないものだと考えています。 政府・与党が強引ともいえるスピードで予算や法律を成立させようとした要因としては、自民党が衆院選大勝で圧倒的な「数の力」を手に入れたことがありますが、その巨大与党を突き動かした最大の原動力は、首相個人の強い思いにあると考えています。それは、衆院選圧勝という結果と自身への高い支持率をもとにした、自らが進める政策はすでに多数の国民から「信任を受けている」という強い自負心です。 首相は衆院選直後の会見で「国民の皆様から政策転換を何としてもやり抜いていけという力強い形で背中を押して頂いた」と力説しました。首相からすれば、あとは政策実現に向けて迅速に結果を出すことだけが重要になってくるわけです。 首相は、国会の場においても目の前にいる野党ではなく、自分を支持してくれる国民を直接の対話の相手としているように見えます。如実にあらわれたのが、自身の公設秘書が関わったとされる中傷動画疑惑などをめぐる国会答弁でしょう。 首相は答弁する際、質問する立憲民主党の杉尾秀哉参院議員の方は見ず、自身の右斜め上にあるNHKの中継カメラの方を向き、「(私は)他の候補者を中傷したり批判したりするようなことはせず、ひたすら自分の政策を訴えてきた」などと数分間にわたって自身の潔白を主張し続けました。この場面にこそ、自分は野党を相手とせず、あくまでもカメラの向こう側にいる国民に向かって話しているのだという、首相の強烈な意思があらわれていたと思います。議会制民主主義の本質は「熟議」で妥協点を見出すこと けれども、首相のこうした姿勢に代表される、野党軽視ともいえる政府・与党の国会運営は、議会制民主主義の考え方とは根本的に相反しているように思えます。議会制民主主義の本質とは、異なる意見の政党の間で「熟議」を通じてお互いに妥協点と一致点を見いだすことにあります。選挙で大勝したからといって、野党側との「熟議」を回避し、「決める政治」ばかりを優先すれば、政策決定のプロセスを重視する民主主義そのものが危うくなりかねません。ある自民の幹事長経験者は私に、今国会の政府・与党の強引な国会運営について「民主主義の根幹に危機を覚える」と漏らしました。■世界的に民主主義は困難な状…この記事は有料記事です。残り1061文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません






