コラム・寄稿なぜ教室の多数決が市民の声を奪うのか 学校が作る政治への無関心工藤勇一印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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工藤勇一の視点 「今年の運動会の目標は『団結』にしたいと思います。賛成の人は手を挙げてください」 ほとんどの手が挙がります。数人は挙げません。■theLetter配信記事この記事は執筆者プラットフォーム「theLetter」で2026年5月31日に配信されたものです。 「では、多数決で『団結』に決まりました。みんなで頑張りましょう」 日本のどこかの学校で、今日も起きているかもしれない、ごく普通の光景です。でも、この「普通」の中に、日本の民主主義が育たない根本的な原因が潜んでいます。手を挙げなかった子は、何を思った? 手を挙げなかった数人の子どもたちのことを考えてみてください。運動が苦手な子かもしれません。「団結」という言葉に引っかかりを感じていた子かもしれません。理由はどうあれ、彼らは少数派になりました。反対意見は聞かれることなく、「みんなで頑張りましょう」という言葉が降りかかってくる。 この構図は、社会の縮図です。身体・知的・精神障害を合わせると、日本の総人口の約9.3%にあたる約1,160万人が何らかの障害を持つと推計されています。発達障害や高齢による障害も含めれば、10~20%を超える人たちが生きづらさを抱えているとも推定されます。これほど多くの方々がいながら、社会全体から見ればマイノリティー(少数派)です。 手を挙げなかった子どもは、そのまま大人になります。自分の意見を言っても覆らない、声を上げても無駄だと学んだまま、選挙に足を運ばなくなる。日本の政治的無関心の根は、実はここにあるのではないかと思っています。 その結果が、次のグラフに表れています。 2021年衆院選で20代の投票率は36.5%、60代は71.4%と35ポイント近い差がありました。2024年衆院選でも20代は34.6%とさらに低下。10代・20代が政治に関心を持てないまま社会に出ていく構造を、私たちは教室でつくり続けていないでしょうか。「最大多数の幸福」だけでは、守れないものがある 議会制民主主義は最終的に多数決を使います。しかし、民主主義の本質は「多数決で物事を決めること」ではありません。 近代民主主義は長い間、「最大多数の最大幸福」を目標に発展してきました。しかし、多数派が一方的に決め続ければ、少数派にとって不利益な社会が積み重なっていく。それを防ぐためのしくみが、成熟した民主主義です。 いま求められているのは、「…この記事は有料記事です。残り1668文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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