コラム・寄稿自分を誇れる場所を自分で作る 私が「プライド」に行けた理由哲学者・三木那由他=寄稿印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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Re:Ron連載「ことばをほどく」第18回 多忙だったり体調不良だったり、あたふたと過ごしているうちに6月が終わってしまった。ここ数年はこういうことが多く、「果たして、今後もこんな調子で生きていって大丈夫なのか……」と、己を顧みてしまう。 ところで、6月というとプライドマンスだ。性的マイノリティーの人々が自分たちの存在を祝福する期間であり、関連するイベントもあれこれとおこなわれる。日本でも東京ではTokyo Pride(以前は「東京レインボープライド」という名称だった)という国内最大規模のイベントがあり、例年この時期におこなわれている。 共催する企業のブースもあれば、すぐそばでは当事者や支援団体がZINEやちょっとしたグッズを販売するなどお祭り騒ぎで、虹色の服や旗で彩られた人々がわいわいと集まる。ステージではトークイベントやドラァグクイーンのパフォーマンスが見られ、「フロート」と呼ばれる派手な車に先導されて大勢で街をパレードしたりもする。もっとも、私はホテルまで予約していたのに、それをキャンセルして自宅で倒れていたのだが。 さて、「プライドマンス」などのフレーズを見ていると、「プライド」という言葉が気になってくるひともいるのではないだろうか。 もちろん、別に珍しい語ではない。自尊心が高いひとを指して「プライドが高い」と言うこともあるし、名誉を損なわれるような言動に「プライドが傷ついた」と言うこともある。プライドを懸けた戦いなどというのも、少年マンガ好きな私には見慣れたものだ。ただ、これらを踏まえてなお、性的マイノリティーについて「プライド」という言葉が掲げられるのはなかなかピンと来ないかもしれない。少なくとも、以前の私はそうだった。 今でこそそうしたイベントに喜んで参加する私だが、かつては「こんな自分にプライドなんて持てるわけがない」「プライド、プライドと言うけど、わざわざ悪目立ちしたがる意味がわからない」みたいな感覚が強く、プライドイベントにも忌避感を抱いていた。こんなにもつらく苦しんでいる私に比べて、ああした場にいるひとたちはどうしてあんなに明るく元気そうなのかという、思い込みからくるねたみもあった。 現在では、かつての私みたいな人間がいるからこそ、プライドイベントも、そしてそこで「プライド」という言葉を掲げることにも意味があるのだ、と感じている。■マイノリティーの人権運動と「プライド」 アメリカの公共ラジオNPRのウェブサイトに、リポーターのジュリアナ・キムが「プライド」という言葉の変遷についてまとめた記事がある。もとをたどるとプライドというのはキリスト教における七つの大罪の一つであり、それだけ重大な悪徳と見なされていた。この場合のプライドとは、過度に高い自己評価を持ち、わけもなく自分をひとより優れたものと見なすことであり、一般的には「高慢」と訳される。それがまっとうな仕方で自己肯定することを意味するようになったのは、14世紀のことらしい。 「プライド」がマイノリティーの人権運動と結びついたのは、1960年代アメリカの市民権運動でのことのようだ。66年に反人種差別のアクティビストであったストークリー・カーマイケルが「ブラックパワー」というスローガンを掲げ始めたということは広く知られているが、そのなかで自分たちのルーツや文化に誇りを抱くようになった人々が「ブラックプライド」という言い回しを用いるようになっていったという。 同じころにそうした運動に影響を受けるかたちで、「ゲイパワー」や「ゲイプライド」といった言い回しが登場するようになった。69年に性的マイノリティーに対する警官の横暴に反発した人々がストーンウォール・インの反乱を起こし、のちにそれを記念したパレードが始まるにあたって(これがプライドパレードの起源だと言われる)、「プライド」がそのスローガンとして選ばれ、性的マイノリティーの人権運動と結びつくようになった。 ……という歴史も大事なのだが、それと私個人の「プライド」にまつわる経験とはまた別の話だ。■あきらめた「普通」、最も自分を否定したのは 私はトランスジェンダーであ…この記事は有料記事です。残り4374文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません






