インタビュー公園を埋めたイラン人はなぜ消えた? 帰国後も続いた日本への思い山根祐作印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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1990年前後、多くのイラン人が日本に来ました。週末には代々木公園や上野公園があふれかえりましたが、わずか2、3年ほどで潮が引くように姿が消えました。当時、彼らはなぜ日本に来て、そして帰ったのか。日本に残したものは何だったのか。イラン人120人に聞き取り調査をしたことがある早稲田大学の樋口直人教授に聞きました。 ――90年代初頭、非正規滞在も含めて4万人以上のイラン人が日本に滞在していたとされます。現在の在留人数の10倍近くにあたります。当時、これほど多くのイラン人が来日したのはなぜだったのでしょうか。 イランでは88年にイラン・イラク戦争が終わった後、景気が冷え込みました。兵役を終えた若者が帰ってきて流動人口が増え、移民が生まれやすい状況になりました。 一方、日本とイランには相互査証免除協定があり、ビザなしで日本に行くことができました。日本はバブル景気で深刻な人手不足の状況にありました。多くのイラン人が観光目的だとして来日してそのまま働いたのですが、当時は非正規滞在者に対する入管当局の対応も比較的緩やかでした。大学に合格したけど、航空券が取れたから ――どういう思いで日本へ? 初期に行った人たちの話が成功例として伝わって、日本に行くのがブームのようになりました。大学に合格したけど、同時に申し込んだ日本行きの航空券が取れたから、日本を選んだという人もいました。当時、同様に日本と相互査証免除協定があったバングラデシュやパキスタンと比べると、イランは産油国で経済的に一定程度余裕があり、比較的気楽な気持ちで日本に行く人が多かったのです。 また、日本という国については、大人気となったドラマ「おしん」や日本製の電気製品を通じて、親しみを感じていたようです。 ――当時、週末に代々木公園などを何千人ものイラン人が埋め尽くすことで世間の注目を浴びました。 公園はイラン人たちにとって、情報交換や交流の場でした。バングラデシュ人やパキスタン人は早期に来日して、すでに礼拝所を作って集まっていました。一方、当時のイラン人はイスラム革命以前の世俗派のパーレビ王朝の時代に育った人たちが多かったので、宗教を介したつながりはほぼなかったと言っていいと思います。人数も多かったイラン人が、集まる場として公園を求めたことで、とても目立つようになりました。強制送還されないよう養子縁組を 私も代々木公園を訪れました。ケバブを焼いたり床屋さんをやったりする人たちがいて、まるで中東のバザール(市場)のようでした。 ――日本社会はどう受け止め…この記事は有料記事です。残り1689文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません