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1950年代~80年代、日本から北朝鮮に「帰った」9万人以上がいたことを知っていますか?「いい生活、仕事、教育が得られる」「地上の楽園」……そんな宣伝を信じた人々を待っていたのは、楽園とはほど遠い「地獄」のような生活でした。長年、取材を続けるジャーナリストは「現在進行形の問題」と指摘します。(朝日新聞withnews・川村さくら)在日朝鮮人への差別、排除日本が朝鮮を併合したのは日露戦争(1904~1905年)後の1910年。当時、貧困を背景に、多くの人が仕事を求めて朝鮮半島から日本へ渡りました。在日朝鮮人と呼ばれる人びとは、日本では差別を受けただけでなく、制度の上でも排除されていました。戦中は「皇民」として与えられていた日本国籍が戦後には奪われ、国民健康保険や国民年金にも加入できませんでした。金日成政権が呼びかけた「帰国事業」日本で苦境に追いやられるほど、在日朝鮮人たちが祖国を恋しく思う気持ちは強くなっていました。第2次世界大戦後、朝鮮は分断され、北には北朝鮮、南には韓国と二つの国家が立ち上がっていました。そんな中、北朝鮮の金日成政権が、労働力不足を補おうと在日朝鮮人たちに「帰国」を呼びかけ始めました。「生活と仕事と教育の機会を保障する」と宣伝し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)も「祖国に帰ろう」とキャンペーンを展開しました。南部出身でも北へ「帰国」日本に渡った在日朝鮮人の9割超は南部朝鮮(現在の韓国)の出身で、正確には「帰国」ではありませんでした。けれど「いずれ南北朝鮮が統一されれば、南部朝鮮のふるさとに帰れる」と考えた人びとが、北朝鮮へ「帰国」していきました。1959年に最初の船が出て、1984年までこの帰国事業は続きました。9万3340人が船に乗りました。におい、飢饉(ききん)、収容そんな人びとが、実際に体験したのは過酷な暮らしだったといいます。命がけで脱北して、日本に戻ったり、韓国に暮らしたりしている人はおよそ600人おり、なかには自身の経験を語る人もいます。5月には、帰国者や帰国者の家族50人へのインタビューをもとにした「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」(集英社新書)が出版されました。船で北朝鮮に到着し、陸に降りたとたんに鼻をついた強烈なにおいは、十分に入浴できていない北朝鮮の人々から漂っていました。1990年代半ばに大飢饉(ききん)が起きたときには「市場や駅に死体が転がっていた」「10人のうち6人まで死んじゃった」。政治犯とされれば、収容施設に入れられ、そのまま帰ってこない人も多くいたといいます。家族は連行された理由も分からず、面会がかなわないまま訃報(ふほう)を受け取り、遺体にすら対面できないこともありました。中国へ脱出、日本へ6月には出版を記念したシンポジウムが都内で開かれ、会場に150人、オンラインに100人ほどが集まりました。シンポジウムで経験を語った梁(リャン)敏雄さんは1945年に石川県加賀市で生まれました。梁さんの父は毎朝職業安定所に通い、日雇いの仕事を請け負っていました。母は古鉄や古瓶、古紙をリヤカーで回収して稼ぎにしていました。父が北朝鮮への「帰国」を決め、1960年に家族で北朝鮮へ渡りました。日本に残った兄からの仕送りを頼りに生活していましたが、やがて兄が亡くなり、生活はますます厳しくなりました。中国との国境に近い場所に住んでいたため、姉のあとを追って中国へ脱出し、日本領事館を通じて2006年に日本に戻りました。日々の最低限の食事にすらありつけない北朝鮮での暮らしは「楽園なんかじゃない、地獄だった」と振り返ります。「一日も早く北朝鮮に」鳥取県米子市出身の全文子(チョン・ムンジャ)さんの両親やきょうだいの7人は1960年に「帰国」しました。全さんはそのころ携わっていた映像の仕事を優先して、日本に残りました。帰国事業が成功すれば、日本で苦しんできた家族は絶対に幸せになれる――。当時はそんな確信をもっていたという全さんは、シンポジウムで、ハンカチで涙をぬぐいながら話しました。「何も疑うことなく、宣伝映像を編集して、総連の仕事に加担していました。この本を読んで、胸が張り裂けそうになりました。毎日食べ物がのどを通らないくらい苦しみました」「結果、きょうだいも親も亡くなって。いま向こう(北朝鮮)に残されている子どもたちがいると思うんですが、そのうち何人が生きているかも分かりません。だから一日も早く北朝鮮に行ける時期がくることを望みながら暮らしています」「知らなくてごめんなさい」インタビュー本の著者のひとりで、「アジアプレス」大阪オフィス代表を務めるジャーナリストの石丸次郎さんは、長年帰国事業について取材する中で「知らなくてごめんなさい」という気持ちがわいたといいます。「帰国事業は明らかな失敗でした。当時の日本社会はよきこととして『帰国おめでとう』と送り出しました。在日朝鮮人と『ともに暮らそう』という発想が徹底的に不足していました」帰国者たちは今も多くが存命しており、日本には200人、韓国には400人ほどの「脱北帰国者」が暮らしているとみられます。外国人排除の原点石丸さんは語ります。「帰国事業は現在進行形の問題です。日本、韓国、朝鮮に家族が離散したまま暮らしているのに、北朝鮮に閉じ込められている帰国者たちの消息は確かめられないままです」「排外主義が跋扈(ばっこ)しているいま、日本での外国人排除の問題の原点にある在日朝鮮人問題、帰国事業をもう一回振り返る意義があるのではないでしょうか」【「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」(集英社新書)】2018年に発足した一般社団法人「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」が2024年までに帰国者50人にインタビューし、帰国した経緯、北朝鮮での生活などについて記述している。「北朝鮮帰国者はどう生きたか」写真展とドキュメンタリー上映会▽東京会場:早稲田スコットホールギャラリー(東京都新宿区西早稲田2丁目)写真展は7月18~21日 午前11時~午後6時上映会は毎日同時刻に開催正午「帰還船1959 第一船」午後1時「北朝鮮に帰ったジュナ~帰国事業50年目の再会~」午後3時「帰還船1959 第一船」午後5時「帰還船1959 第一船」▽大阪会場「みんパック」2階(大阪市天王寺区小橋町3丁目)7月25日午後1時~午後7時7月26日午後1時~午後6時上映会は毎日同時刻に開催午後1時「北朝鮮に帰ったジュナ~帰国事業50年目の再会~」午後3時「帰還船1959 第一船」午後5時「帰還船1959 第一船」※いずれも入場無料。主催・アジアプレス、「北朝鮮帰国者」の記憶を記録する会ニュースが身近になるメディア「withnews」https://www.asahi.com/withnewsTikTokアカウント:https://www.tiktok.com/@withnewsYouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@withnewschannel