ストーリー2026年7月11日 14時46分福留庸友印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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床に散らばるランドセルや教科書。黒板の日付は「卒業式まであと8日」だった3月11日金曜日のままだ。雨漏りで木の床にはカビが生え、ランドセルや衣類は色あせてきたが、15年前の面影が確かに残っている。 「もうこれはダメだな。天井が崩れて死ぬ」 あの日、福島県双葉町の町立双葉南小学校で6年1組の担任だった佐藤大志さん(52)は、死を覚悟するほどの揺れに襲われた。教室では授業を終えた児童たちが、帰る準備をしていた。 机の下にもぐり、長い揺れをしのぐと、校舎の外に避難した。寒さが厳しかったため体育館に移り、保護者が迎えに来た児童から順に引き渡した。校舎の耐震工事は翌年度に行う予定で余震の心配があったため、児童を教室には戻らせず荷物は校舎に置いたままとなった。 「土日ゆっくり休んでまた月曜日でいいよ、ぐらいの感覚でいた」と佐藤さんは明かす。「そのまま戻れなくなるなんて思いもしませんでした」 次の日の早朝、東京電力福島第一原発から半径10キロ圏内に避難指示が出され、双葉町は全町避難を決定した。 記者が初めて校舎内を取材したのは2018年12月だった。当時、岩手県、宮城県の被災地にはすでに新しい街ができていたが、児童のいた痕跡だけが残る廃虚のような光景に言葉が出なかった。 町内の一部で正式に人が住めるようになったのは22年8月末からだ。これまでに、当時通っていた児童たちが私物を引き取る機会や閣僚の視察があった。許可無く立ち入られたこともあり、発災当時の姿をそのまま保っているわけではないが、原発事故の悲惨さを物語る迫力に変わりはない。 町教育総務課によると、校舎はこのまま残すことは決まっているが、一般公開をする計画は今のところないという。 町内にはいま、復興住宅団地が建ち、カフェ、スーパー、ホテルもオープンした。復興と原発事故の爪痕が混在する中、7月1日現在で264人が住む(原発事故前の人口は約7千人)。佐藤さんは「町がだんだんきれいになり、原発事故のことを伝える『物』は少なくなる。当時のことを教訓にして生活していくという意味で貴重な空間」と感じている。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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