ストーリー伊東聖印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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■聞きたかったこと 広島 もう勉強はせんでええ。学校で言われたとき、浮かんだ感情は、腹立たしさ、だった。勉強がしたくて入ったのに、なぜ――。大林春美さん(95)=広島県東広島市=は、そう振り返る。 賀茂高等女学校(現・県立賀茂高校=東広島市西条西本町)は1944(昭和19)年11月、旧陸軍被服支廠(ししょう)(広島市)の工場になった。 当時、2年生だった大林さんの記憶では、3学期に入った45年1月から、軍人の服作りに従事することになった。バレーボール部に入っていたが、部活はもちろん、授業も一切なくなった。「口には出せんけど、腹立ってね。部活もなんにもできんようになって」 旧陸軍省のマークの入ったはちまきをして、朝から夕方まで、シャツを縫った。ミシンがずらりと並んだ教室には火鉢もなく、足踏みミシンはたまらなく冷たかった。みな、13歳か14歳だ。「今、この年の子に、あれができると思う?」 自宅からは、木炭バスで通った。上り坂では降りて押した。「あまり言いたくない」と目を伏せた 45年8月6日もバスで登校した。乗り込む頃に、上空をB29が飛んでいるのが見えた。たまに上空を旋回しているのを見たことがあったが、西条は空襲を受けたこともなく、気にしなかった。 教室に着いた。ピカッと光っ…この記事は有料記事です。残り887文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人伊東聖呉支局長専門・関心分野事件、沖縄、被爆者・戦争体験者、街だね関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






