インタビュー入所者の生きた証し、社会とつなぐ 海が見える療養所のカフェの願い構成・北村浩貴印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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■追悼の日に考える:下 6月22日は国が定めた「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」。かつて「癩(らい)病」「癩」などと蔑称で呼ばれたハンセン病をめぐっては、過去の国の強制隔離政策の下で様々な人権侵害が起こりました。二つの国立療養所「長島愛生園」と「邑久光明園」がある瀬戸内海の長島(岡山県瀬戸内市邑久町)には、ハンセン病の歴史、入所者の歩みや声を伝え、社会とのつなぎ役を担う人たちがいます。いまなお残る差別や偏見の解消に向けたヒントを探ろうと、2回に分けて関係者を訪ねました。【追悼の日に考える:上】「亡くなった人の魂のゆりかごに」ハンセン病伝える若手学芸員の思い【連載】ハンセン病 残された記憶 埋もれた記録 二つのハンセン病の国立療養所がある長島(瀬戸内市)には、全国の療養所でも珍しい入所者も来園者も利用できる民間のカフェがあります。2019年に開店した喫茶さざなみハウス。長島愛生園の機関誌やハンセン病関連の書籍が並び、音楽など様々なイベントも開かれます。店主の鑓屋(やりや)翔子さん(37)と常連客の中尾伸治・入所者自治会長(91)に、こうした交流の場がある意義や、未来へ託す思いなどを聞きました。(以下、敬称略)1人の人として生きる姿を感じた ――さざなみハウスはどういう経緯でできたのですか。 中尾 誰でも行ける食堂が多磨全生園(東京都)にあって、そこに入所者もいる。そういう場所があればいいなと思っていた。長島に来た人が弁当を食べる場所がなくて、海岸かどこかで食べたという話も聞いていたし。長島愛生園の福祉課が移転し、空いた場所を入所者自治会が借り受けて話が進んだ。島外の誰かに見られるのが嫌だったからか、喫茶店は必要ないという入所者もいた。ハンセン病の患者隔離の記憶、どう伝える 多磨全生園入所者の危機感 ――始めた当初はどのような店にしたいと? 鑓屋 長島は、きっかけがなければ来ることがなかった場所でした。病気になったらずっと(本土側に)戻れない、脱走を防止、収容とか……。長島愛生園歴史館で知った言葉や事実に驚きすぎて、衝撃といいますか。 そういう中、自治会などから入所者同士の交流や休憩の場として使えたら、と聞いていました。正直、島外からどういう人たちが来るのかわからなかった。でも景色はいいし、コーヒーで一息つける場所になればという気持ちはありました。 店を始めてから、長島にはお茶を飲む場所が必要なんだと実感しました。来店する入所者は対岸の小豆島(香川県)がどうだとか、昔話や世間話をしてくれたので、すごくほっとしました。 みんな常にハンセン病のことで怒っていたり、闘い続けていたりするわけではなく、それは一面なんだと。当たり前ですけど、一人の人として生活している姿をここで感じました。 ――療養所の歴史などを知ると、長島を歩き回っていいのかと遠慮してしまうことがあります。 中尾 少しずつ入所者も来るようになったけど最初は遠慮がち。フラッと島外から来た人もお互いビクビク。でも、だんだん増えてきて、入所者もお客と話ができるようになってきた。テーブルを時々離れて話しているから、入所者も気持ちが和らいだというか、慣れてきたというか。「ハンセン病って何?からでもいい」 ――入所者らと触れ合う機会が増え、変化を感じることはありますか。 鑓屋 入所者がハンセン病回…この記事は有料記事です。残り1509文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません