ストーリー人間回復の橋「多くの人を導いた」 開通に尽力したハンセン病療養者2026年5月23日 9時05分北村浩貴印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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瀬戸内海に浮かぶ長島にあるハンセン病の国立療養所「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)で9日、本州との間に架かる邑久(おく)長島大橋(全長185メートル)の開通日(5月9日)に合わせたシンポジウムが開かれた。橋は、入所者が長年強いられた隔離からの解放の象徴として知られ、「共生社会の実現」がテーマとなった。「人間回復の橋」開通日に考える共生社会 ハンセン病療養所でシンポ シンポに先立ち、邑久長島大橋の架橋運動に携わった入所者の石田雅男さん(89)が、開通までの歩みや両岸がつながった意義、入所者としての胸の内を語った。 石田さんは1946年、10歳で入所した。国の強制隔離政策が続いていた時代。両親やふるさとを思い、夜は布団の中でよく泣いたという。青年になると薬の副作用で手足のしびれに苦しみ、後遺症が残って「何度も死のうと思った」と振り返った。 長島愛生園と邑久光明園の二つの療養所がある長島と本州との間の橋を求める動きは、70年代に本格化する。両園入所者たちの合同の架橋促進委員会が結成され、国や地元へ働きかけた。長島愛生園50年を迎えた80年には「人間性回復の橋を」と銘打ち、架橋運動を推進した。 「強制隔離をする必要のない証しとして橋を架けましょう」。石田さんは同年、陳情で園田直・厚生相(当時)が口にした言葉を「昨日のように鮮明に記憶として残されている」と語った。 本州と長島との間の最短距離は30メートル(満潮時)。泳いで渡ろうとした入所者が命を落としたこともあった。架橋の悲願が達成されたのは88年、瀬戸大橋開通の1カ月後のことだ。 「社会から隔離された苦しみを、もう味わわなくてもいいんだね」。開通式を報じた同年5月10日付の朝日新聞岡山版には「長かった30メートルの海峡 交流へ喜びと誓い」の見出しとともに、涙声で語った88歳の男性入所者の思いが記されている。 石田さんは当時を振り返り「架かってから、私たちが願い、期待した通りに橋は多くの人を導き入れてくれた」。社会との交流を進める役割を担った橋への感謝を語った。「被害者意識で過ごすのでなく、人間らしく恥じることなく生きねば」と、自らの心境に変化があったことも明かした。 いま長島愛生園で暮らすのは65人(9日現在)。平均年齢は89.8歳だ。石田さんは、いずれ訪れるであろう「入所者ゼロの時代」にも言及。「私たちがいなくなっても(人権)学習の場、憩いの場、安らぎの場として長島愛生園が存在し続けてくれると信じている」と力を込めた。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人北村浩貴岡山総局専門・関心分野地方行政、地方政治、文化財、民俗学、スポーツ関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする