深掘り大阪にタマネギの碑なぜ? はじまりは明治、かつては日本一だった西江拓矢印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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ずっと気になっていた石碑がある。大阪府田尻町の「泉州球葱栽培之祖」。泉州地域にタマネギを普及させた功績をたたえ、110年余り前に建てられた。タマネギの産地といえば、北海道や淡路島(兵庫県)などが有名だが、なぜ大阪に石碑が? 町の玄関口、南海吉見ノ里駅から歩いて約4分。住宅が並ぶ通り沿いにその碑はある。建てられたのは、大正2(1913)年だ。 田尻町史などによると、泉州地域は、江戸時代からコメだけでなく、綿花や油を搾るナタネ、サトウキビなど換金できる商品作物の栽培が盛んだった。しかし、明治に入ると、外国産に押されて価格が下落し、大打撃を受ける。さらに、干ばつ、洪水といった自然災害が相次ぎ、人々を苦しめた。 明治10年代後半、この地の農業を救おうとしていたのが、篤農家の今井佐治平(佐次平)ら3人だった。現在の岸和田市で試験栽培されていたタマネギを見て、興味をもった。西洋料理に欠かせない野菜とのことで、佐次平らは、希少で高価な種を横浜から取り寄せて、試作を始めた。 サトウキビなどに代わり、新たな換金作物として、苦労しながら普及と販売に努めると、泉州は、国内外に知られる産地になった。石碑には3人の名前が記されている。 さらに、田尻には「玉葱(たまねぎ)王」と称された人物がいた。佐次平の息子、伊太郎(1864~1941)だ。ひ孫が客観的資料で裏付け 伊太郎のひ孫、畑中加代子さん(74)は、実家に残されていた膨大な文書類を調べ、2002年に伝記「玉葱王 今井伊太郎とその父佐次平」を出版した。 阪南市の畑中さんの自宅を訪…この記事は有料記事です。残り1036文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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