インタビュー増田愛子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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18世紀、江戸城松の廊下で赤穂(あこう)藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に切りつけたことに始まる「赤穂事件」。藩を取りつぶされた浪士たちによる敵討ちは、多くの人形浄瑠璃や歌舞伎の題材となってきた。 昭和前期、劇作家・真山青果(まやませいか)が書いた歴史劇「元禄忠臣蔵」は、史実を基にした全10編の大作。中でも人気の高い「御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう)」が、歌舞伎座の「七月大歌舞伎」昼の部で上演される。主人公の甲府藩主・徳川綱豊卿は、片岡仁左衛門と尾上松也のダブルキャスト。Aプロで主演する仁左衛門は、「毎回毎回、新鮮な気持ちで勤めることは大事です」と話す。 綱豊を初めて演じたのは36歳。「お手本」にしたのは、朗々たる名調子で知られ、この役を当たり役としていた三代目市川寿海(じゅかい)(1886~1971)だ。 「最初はね、もう無我夢中ですよ。寿海のおじさんは、子役の時から見ていましたからね。印象が強くて、その後を夢中で追いかけていました」 初演から46年。今回で綱豊を演じるのは13度目となる。回を重ねるうちに「だんだんと、自由に役を作れるようになったというか。いま演じているのは、ある意味で私特有の綱豊像になってきたと思うんですね」。 綱豊は、5代将軍綱吉のおいで次期将軍と目されている人物。赤穂浪士たちに敵を討たせたいと考えていたが、浅野家再興の話が持ち上がり困惑している。 彼らに敵を討つ意志が本当にあるのか――。浪士の一人、富森助右衛門(とみのもりすけえもん)(松本幸四郎)と対面した綱豊は、復讐(ふくしゅう)の大義を巡り白熱した議論を繰り広げる。 甲府藩35万石を治める綱豊と、5万3千石の大名家の元家来でしかない助右衛門。身分は大きく違うが、大切にしているのは「浪士に対する愛情というか、対等に考える」姿勢だ。 「私のやり方は、ちょっと外れているかも分からないんです。当時の大名としては、相手の心をくむよりも、もっと自分を押しつけるような人だったかもしれないしね」 一方、助右衛門を演じる俳優は「本来、じかに顔も見られないような人と対峙(たいじ)してることを忘れたらいけない」。「対等にやり合うんじゃなくて、下から食らいつくような」心でいることが、大切という。「気持ちから持っていく」芝居の作り方 最初は余裕を持って助右衛門に接していた綱豊が、痛いところを突かれて感情を高ぶらせていく様子も、見どころの一つだ。 「意識しなくても、そうなるよね。お芝居というのは、いろんな作り方があって。先にドラマの起伏を考えて持っていくか、自分の気持ちでそうなっていくか。私はどちらかというと気持ちから持っていく」 「どのお役にしても、その人物になるということですよね。そうすると、自然と動きとかセリフが変わってくる」と話す。 一方で、最近の歌舞伎の舞台…この記事は有料記事です。残り510文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人増田愛子文化部|専任記者専門・関心分野歌舞伎、文楽、海外の演劇、公共劇場関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






