2026年6月19日 12時00分伊東聖印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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飲食業未経験の若者がこの春、広島県呉市の名物の一つである屋台に参入した。カキ加工会社だった家業の廃業がきっかけで、店名の「大笑(たいしょう)」には笑顔を絶やさず、皆を楽しませたいとの思いを込めた。 市役所に近い「蔵本通り」。午後4時半過ぎ、数十メートル離れた屋台の保管場所から、平川多聞さん(24)が屋台を引いてきた。冷蔵庫の電源を入れ、生ビールのたるを置き、客席をアルコールで消毒する。 午後7時からの営業。最大10人が座れるが、週末になると次々と客が訪れ、満席状態が続く。 実家は、現在の呉市音戸町で1959年に創業したカキ加工会社。曽祖父が始め、祖父が継いだ。常務だった父は2024年に交通事故で他界した。 平川さんは高校卒業後から勤めていたが、経営が立ちゆかなくなり、25年9月に辞めざるを得なくなった。同業者などから「うちで働けば」と声をかけられたが、養殖カキの大量死問題も起き、立ち消えに。そんなとき、知人から聞いた屋台の出店者募集を思い出した。 「屋台は呉ならではのもので、地元に貢献できる意味のある仕事。本腰を入れてやってみるか」。ラーメンを出す屋台の事業計画書を市に提出した。 無事に選ばれ、知人の大工に屋台の製作を発注。備品を含め初期費用に約200万円かかった。ラーメン(750円)のスープは、旧知のラーメン店から仕入れ、酒や食材の仕入れ先を紹介してもらった。 オープンしたのは4月20日。目の前の注文をこなすのに必死で、作り忘れや作り間違えも起こした。営業終了は「スープが切れたら」としているので、片付けが終わるのは午前5時近くになることもある。猛烈に熱いスープ鍋と鉄板の間で、ほぼ12時間立ちっぱなし。客が来てくれるのか、不安が常につきまとう。 それでも1カ月余りが過ぎ「少しずつリズムがつかめてきた」。観光客や出張客に「呉に来て、最後がこの店で良かった」と言われるのが何よりもうれしい。 「父を亡くし、家業の廃業も経験した。これからの人生、笑って過ごしたい。もちろん、お客さんも笑顔にしたい」。店名に込めた理想の形を、少しずつ実現している。かつては存続危機 市が給排水設備を整備 広島県呉市の屋台は、市が給排水設備や電源コンセントを設け、14~15区画で営業できるようにしている。営業可能なのは午後4時半~翌日午前5時。1区画の使用料は月額6080円で、屋台保管場所として月額6550円が必要だ。 屋台は大正時代にはあったとされる。市には1935(昭和10)年頃に撮られたとみられる写真が残る。 市土木総務課などによると、市内各地にあった屋台は66年に今の蔵本通りに集められた。市は84年に景観整備を理由に「1代限りで廃止」としたが、屋台側が存続を要望。市は90年に「1親等に限って営業権を譲渡できる」という条件で存続を認めた。 その後、市は観光スポットとして残そうと、2002年度から新規出店者を不定期で募っている。初年度は7区画に48人の応募があり、25年度は5区画に3人が申し込んだ。このうち「大笑」ともう1店が営業を始めており、もう1店が開業すれば計12店舗になる。屋台は蔵本通り沿いの公園の敷地に並ぶ。市はさらに2区画への出店者を募集している。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人伊東聖呉支局長専門・関心分野事件、沖縄、被爆者・戦争体験者、街だね関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






