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二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか?今回は、古本に囲まれながら飲めるお店を開く女性の「はたちメシ」です。(ライター・白央篤司)<蓑田沙希(みのだ・さき)さん:1981年、北海道生まれ。小学生から19歳までを札幌で過ごす。大学卒業後、編集プロダクションに勤務したのちフリーランスに。会社員の頃から含めて約17年間辞典の編集業務に関わる。東京・東陽町に『古本と肴(さかな) マーブル』を2018年に開店。現在は古書店主、フリーの校正者、エッセイストとして活動する。夫、一児と東京に暮らす>飲み歩きが好きなもので、SNSで気になる店を見つけるとふらり出かけてしまう。蓑田沙希(みのだ・さき)さんの店もそうだった。誰かのリポストで流れてきた画像には、黒板に書かれた今夜のおつまみが並んでいる。やたら凝っているわけでなく、ありきたりでもなく、絶妙に酒飲みの心をくすぐるセレクトに唸(うな)った。直感で「これはハズレない」と思って訪ねてみれば、やっぱりおいしい。しかもここ、古書店の一角なんである。場所は東京・東陽町、その名も『古本と肴 マーブル』。「古本屋さんをいつかやりたいと思っていたんです。私は編集の仕事をやってきたんですけど、忙しい時期に子どもの迎えに行けないことが多く、自宅でできる仕事がしたいと思っていて。1階を店舗にできる住宅が見つかったこともあって」じゃあ、夢でもあった古書店をはじめてみようと決断する。古本に囲まれつつ飲める場所なら人も来てくれるのでは……という思いから、細長い店の奥を立ち飲みスペースにした。開店から8年、本と酒を愛する常連も増えて、蓑田さんはカウンター奥の小さなキッチンでいつも忙しそう。そんな姿を見るうち、この人はどんなものを食べてきたんだろう……と気になり、「はたちメシ」にご登場願いたくなった。「はたちの頃といえば、ちょうど人生で2年間だけ大阪にいた頃ですね。私は札幌育ちですが、大阪芸大の文芸学科に進学して。近鉄線の針中野駅近くに住んでいました」文学研究だけじゃなく、「書く」ことに興味があり、その方面も教えてもらえるのはどこだろう……と探した結果、大阪芸大を選んだ。時は2001年、CHEMISTRYがデビューしてヒットチャートをにぎわせていた頃である。北海道から関西へ移り、人生初のひとり暮らしはどうだったろうか。「がらりと環境が変わって楽しかったですよ。元々住んでいたところは雪がすごいからか、商店街が無かった。北海道は少ない気がする。でも大阪は商店街文化で、買いものに出かければ立ち話してる人がいて、帰り道にまだ話していて。『ああこれ、ドラマで見るやつ!』なんて思いました(笑)」当時よく食べていたものや、印象的だった食べものは……と聞けば、「うどんです」とすぐに返事が。いかにも「忘れられない」という気持ちのこもった声だった。住んでいたマンションのすぐ向かいが、うどん屋さんだったのだ。「おだしのいい匂いがいつもして。でも安いんです。もう一度行きたくて去年調べたら、もう無かった。小柄なおじいさんひとりでやってたんですよ、声の高い人でね」素うどんとさつまいもの天ぷらをセットでよく頼んだ。頼むとその場で天ぷらを揚げてくれ、熱々がうれしい。「夜の2時までやっているのもありがたかった」と、蓑田さんが話を続ける。「大学に通いながらミナミにあるバーで働いていたんです、週3~4回。ピアノの生演奏があるような大人っぽい店でしたね。座るだけで結構な金額のかかるところで。ここでお客さんにいろんなことを教わりました」文芸学科に通っているといえば「せっかく大阪で学んでんねやから、織田作之助を読み」とか「上方落語も聴いたほうがええ」といったアドバイスが来る。「大阪のおいしいもん食べたことないやろ」と、名店に連れていってもらえることもあった。やっぱり当時から料理や食に興味があったのだろうか。「特にそういう意識はなかったんですよ。でもあるとき連れていってもらった中華で、鯛(たい)の薄切りにカシューナッツや香菜を散らして、ごま油をかけた料理が出てきて、『こんな組み合わせもアリなのか!』と驚きました。それは強烈に覚えていて、今もたまにお店で出しています」現在につながる料理の刺激を、20代のはじめにもらっていた。バイトを終えて終電で帰っても、あのうどん屋さんが開いている。ひとつの安心感だった、と振り返った。「受け皿でしたね、あそこは。私以外にも遅い時間に仕事が終わる人たちの。コンビニごはんじゃ充(み)たされない何かを充たしてもらっていた。あのおだしさえあれば、なんて気持ちで通ってました」関西の味つけにはわりと影響を受けている。「味つけは足し過ぎないほうがいい、と思うことがわりとあって。素材を大事にする、あえて味つけを『引く』ような関西の感じ、見習いたいです。できないけれど(笑)」さて蓑田さん、大学は自分で学費を払っていたが追いつかなくなり、大阪芸大は除籍になってしまう。再度お金をためて法政大学に編入、卒業後は編集の仕事を始め、それもちょっと特殊な道に進んだ。「上京して学ぶうち、自分で書くよりも好きなものを紹介するのを仕事にしたほうがいいと思って。26歳から編集の仕事に関わったんですが、辞典の編集にすごくやりがいを感じたんです」膨大なページを見やすく、綿密に整えていく職人的作業。これは私の仕事だ、という手ごたえを感じた。17年ほど辞典編集に携わり、その間に結婚、出産も経験する。取材の間には小学6年生になるお子さんが帰宅して、塾へ出かけていった。ものおじしない少年で、そこはお母さん似だろうか。「あの子が保育園のとき、ちょうど子どものための本を作っていたんですよ。そんな自分が子どもを迎えにいけない、一緒にごはんも食べられないような生活をしていることに矛盾を感じて」働き方を見直そうとなったのだった。マーブルという店名には「いろんなものと人が混じり合う場所」という意味を込める。「でもそれ、実は後付けなんです」と言って、蓑田さんがふふっと笑う。マーブルはかつて飼っていた愛猫の名前でもあった。お店の営業は週4回、昼間や営業のない日はフリーの校正者としても働いている。本ができる上で、記述や内容に誤りがないか最終チェックをするのが校正者だ。「本になるまえの状態を校正者として読み、本が売れる最後の段階に古書店主として関われている、この状態が好きで、面白く思っています」開店時間が近づいてきた。本日のつまみ作りにとりかかる蓑田さん、きょうはどんな料理が並ぶだろう。このお店も、きっと誰かにとっての生活の「受け皿」になっているに違いない。ニュースが身近になるメディア「withnews」https://www.asahi.com/withnewsTikTokアカウント:https://www.tiktok.com/@withnewsYouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@withnewschannel






