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重い遺伝性の病気を我が子に受け継がせたくないと、声をあげた女性を描く「命を選ぶ 遺伝病の運命に抗(あらが)ったある女性の物語」(祥伝社)をノンフィクション作家、下山進氏が著しました。扉はどう開いたのか。約30年の歴史をひもとくルポルタージュに込めた思いを聴きました。 ――主人公は、網膜にがんができる「網膜芽(もうまくが)細胞腫」を患う野口麻衣子さん。第2子への遺伝がわかり、第3子に遺伝させたくない、と着床前検査の申請をしますが、3度目でようやく認められます。野口さんの訴えが基準緩和の大きな契機になりました。 「自分が遺伝病だと明かすことは、家族や親族に影響が及ぶので非常に難しい。それは、以前の著書で遺伝性アルツハイマー病の人たちを取り上げ、身に染みてわかっていました。でも野口さんは実名や顔を隠さずに出して活動を始めました」 「その主張に耳を傾けるべきだと思いました。治療や生活、全部ひっくるめた思いを伝えたいと何度も野口さんが住む大阪に行き、話を聞きました。カギ付きのブログや膨大なLINEの記録も見せてもらいました」着床前検査(PGT-M、着床前診断) 遺伝子変異のない受精卵を選んで子宮に戻す技術。遺伝性の病気を子に受け継がせないようにできる。2022年に学会の審査基準が一部緩和されるまで、「成人になる前に命が危ぶまれる」などを基準とする、厳しい規制が続いた。 ――検査が認められない背景にあった、障害者団体の抗議活動や「内なる優生思想」につながるという研究者の主張も描かれます。 「そのように主張する時代背景や環境にも、耳を傾ける必要があると思いました。この本でめざしたのは『対立』ではなく『対話』です」 「これまでメディアの報道姿勢は、『障害者に寄りそうことが大事』と着床前検査に慎重でした。遺伝病の人の思いは、自分が書かないと世に知られることはない。全体像を書こうと心がけました」 ――重要な登場人物の1人、篠岡薫さんの子、一実さん(かずちゃん)には重いダウン症がありました。7章は「かずちゃんの物語も終わりません。終われません」で結ばれています。 「一実さんは1999年、神奈川県立こども医療センターで誕生します。人工妊娠中絶が可能な時期の羊水検査を当時、この病院は認めておらず、予期しなかった我が子の障害を薫さんは受けいれることができませんでした」 「神奈川県は1976年、脳性まひ者の団体『青い芝の会』と『県内の公立病院では一切の出生前診断をしない』という趣旨の覚書を結んでいました。そのため一実さんを担当した山中美智子医師は、ダウン症の確定診断をする羊水検査をしたくてもできなかったのです」 「強調しておきたいのは、神奈川県立こども医療センターは現在では、中絶が可能な22週未満でも、羊水検査ができるようになっていることです。その禁忌を2007年に解いたのが山中医師でした。さらに物語の主人公、野口麻衣子さんが声をあげた2018年の日本産科婦人科学会の臨時倫理委員会で、着床前検査の緩和を訴え、事態を動かしたのも山中医師でした」 「山中医師を媒介に、かずちゃんの20年の人生が、障害者と遺伝病の当事者の『架け橋』になっていたことが後半に明かされます」 ――あとがきで、一実さんを「生命倫理と医療技術の架け橋」とも表現されます。生命倫理と医療技術の関係性はどうあるべきだと今、感じていますか。 「医療技術はどんどん進歩し社会も変わります。医療と倫理の関係を固定したものととらえず、不断の意思でその変化を考えること、その勇気をもつことで、技術の本当の意味での倫理的な活用ができる。これが到達した結論です」 ――遺伝病のない子を産みたいという願いと、差別のない社会。この二つは同時に実現できるのでしょうか。 「その問い自体が、この本で書いた多くの問題がおきてきた原因のひとつだと私は考えているのです。カップルの選択権と差別のない社会をつくることは、別の問題、別の次元です」 「『青い芝の会』などの障害者差別解消をめざす運動で、障害者を取り巻く状況は確実に進歩しました。対照的に、遺伝病の人たちをとりまく環境は変わらなかった。使える技術があるのに対象にならない状態が、1990年代から2022年まで続いていました。世界の半分しか可視化されてこなかったので、問題になりようがなかったのです」 ――ルールを変更する際に優先すべきこととは。 「ルールも固定したものと考えず、変化する社会と医療技術に合わせてどうすれば倫理的に活用できるのかを考えるべきでしょう」 「科学は科学として独立して存在するわけではなく、人の思いや社会との関係の中に存在します。専門分野の中にいるだけでは見えてこないことも多い。今回も、事態を動かしたのは専門からはみ出す勇気があった人たちでした」 「妊娠、出産をする世代の女性たちがこの本を読み、どんな感想を抱くのか。すごく知りたいです」 ◇ しもやま・すすむ 1993年米コロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級課程修了。2019年文芸春秋を退社し、独立。主な著書は「アルツハイマー征服」「がん征服」「持続可能なメディア」。取材を終えて 下山氏が篠岡さん一家を知ったのは、偶然だったという。山中医師に取材した際、スライドにあった記述に目をとめ、名も知らぬ篠岡さんに手紙を書き、山中医師にとりついでほしいと依頼をしたのだと。 手紙の中で下山氏は「『生命倫理と医療技術の相剋(そうこく)の歴史』を書こうと思っていましたが(略)お嬢様のお話は、両者の『架け橋』となるような話なのではないかと思った」とつづっていた。5月の取材で下山氏は「そういう展開になると当時はわからなかったのですが、まさに予言的でした」と語った。 幾人もの女性の人生を取材し、結節点を掘り起こした。情報公開請求もし、世に出ていなかった事実を明るみにした。 「生きたい。生きることを認めて」「自分より先に死ぬ子どもを産みたくない」「産むか産まないかを最終的に決めるのは女性。必ず障害を持つ人は出現する。障害込みで人間だろう」 命に真摯(しんし)に向き合う人の叫びのような言葉がちりばめられ、妊娠・出産をする女性の尊さも悲哀もにじむ。 命はどこから始まり、優先すべきことは何か。考えはそれぞれだ。生命倫理と医療技術の関係も社会とともに変化する。その違いや変化に目を背けてはならないのだと感じた。