ストーリー遺跡でみつかった鋳型の破片 飛鳥寺住職が捜し続けた梵鐘、その姿は塚本和人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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第3部「飛鳥寺(近現代)編」(9) 奈良県飛鳥村(現・明日香村飛鳥)の飛鳥寺住職、山本雨宝(うほう)(1903~88)は、昭和20(1945)年8月15日を寺で迎えた。 雨宝が書き残した「一生年譜」によれば、1カ月前の7月15日に《臨時召集令状受領ス 応召第二回ナリ》とある。 昭和13(1938)~14年に中国戦線に加わったのに続き、2度目の召集令状が届いていた。 昭和20(1945)年8月9日、当時勤めていた県立盲啞(もうあ)学校の会計業務の引き継ぎを終え、村内で壮行会も開かれた。 そして迎えた8月15日。「一生年譜」には《大東亜戦モ敗戦トナリ 陛下ノ重大放送アリ 建国以来ノ大汚辱ノ年トナル》と書かれている。 2度目の召集に応じる前に、戦争は終わった。 終戦後も飛鳥寺の困窮は続いた。 雨宝は昭和21(1946)年7月から飛鳥村役場に勤め、家族の生活を支えた。公務員として住民の生活向上に力を尽くすことになった。 その合間に、飛鳥の史跡巡りの小冊子(ガイドブック)を刊行したほか、参拝者に寺の歴史を分かりやすく説明した。その人柄と相まって、寺に集まる飛鳥ファンは増えていった。 雨宝には気がかりがあった。 戦時中の昭和18(1943)年に供出させられた梵鐘(ぼんしょう)(釣り鐘)だ。 もしかしたら、武器などにするため金属を回収する工場があった瀬戸内海の直島(香川県)に梵鐘が残っているかもしれないと、雨宝は捜索を続けていた。 昭和27(1952)年4月…この記事は有料記事です。残り1499文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人塚本和人橿原支局長|寺社・文化財専門・関心分野歴史、考古学、外交、国際関係関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






