ストーリー江戸時代の夫婦がお堂を再建 民家に残る文書でわかった飛鳥寺の軌跡塚本和人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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第3部「飛鳥寺(近現代)編」(2) 鎌倉時代に落雷で堂塔を失った飛鳥寺(奈良県明日香村飛鳥)が、本格的に再建されたのは、江戸時代に入ってからだった。 明和9(1772)年に国学者の本居宣長(もとおりのりなが)が大和国(現・奈良県)を歩いた記録「菅笠(すがかさの)日記」によれば、宣長が訪れた飛鳥寺は、里の端にわずかに残り、門も無く、「かりそめの」(一時的な)お堂のなかに飛鳥大仏が安置されているだけだった。 奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所、奈文研)が1986年に飛鳥資料館(明日香村)で開いた特別展示「飛鳥寺」の展示図録を見ると、「いま飛鳥の民家に伝わる元禄一二年(一六九九)三輪山遍照院性亮(しょうりょう)が書いた縁起」に基づき、飛鳥寺が再建された経緯が簡単に紹介されている。 その内容を詳しく知りたいと思い、奈文研職員として特別展に携わった京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝さん(88)に、どの民家に伝わっていたのかを聞いてみた。 猪熊さんの記憶を頼りに、寺に近い井村家を訪ねると、保育士の井村信子(のぶこ)さん(71)が応対してくれた。早速、古文書を見せてもらえないかとお願いした。 信子さんも詳しくは知らないとのことだったが、40年近く前に亡くなった祖父の安治(やすじ)さんが大切にしていたという黒い箱を探し出してくれた。 箱のふたを開けると、和紙を貼りあわせた長い巻物が入っていた。 冒頭に「和州高市郡飛鳥元興…この記事は有料記事です。残り1178文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人塚本和人橿原支局長|寺社・文化財専門・関心分野歴史、考古学、外交、国際関係関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






