ストーリー飛鳥寺住職、戦場へ みつかった「陣中余録」、記された宗教者の思い塚本和人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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第3部「飛鳥寺(近現代)編」(6) 昭和6(1931)年5月29日、27歳だった山本雨宝(うほう)(1903~1988)は、奈良県飛鳥村(現・明日香村飛鳥)の飛鳥寺(安居院(あんごいん))の住職に就いた。 就任直後の昭和7(1932)年には、新聞社が読者の意見に基づいて人気のある寺を巡る「新西国霊場」のコースに、飛鳥寺が選ばれた。 だがそのころ、日本は戦争に向かっていた。 昭和6年9月に満州事変が勃発し、翌年3月に満州国が建国。昭和12(1937)年7月には日中戦争が始まった。 雨宝が書き残した「一生年譜」には《昭和13年5月15日 日支事変動員令状受領 20日出発 感激極マリナレ》とある。 住職になってわずか7年後の昭和13(1938)年5月、雨宝は中国戦線に向かった。 その後、昭和14(1939)年2月に帰国するまで、雨宝は軍隊手帳に日記をつけていたとみられる。 帰国後にそれらをまとめた「陣中余録」が、このほど飛鳥寺でみつかった。 A3用紙22枚を半分に折って、ひもで丁寧にとじている。 表紙の裏に書かれた目次をみ…この記事は有料記事です。残り1320文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人塚本和人橿原支局長|寺社・文化財専門・関心分野歴史、考古学、外交、国際関係関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






