インタビューイチ、ニ、サン、ダー!「時代屋の女房」で直木賞 作家・村松友視聞き手・野波健祐印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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語る 人生の贈りもの 作家・村松友視(2) なぜ小説を書き始めたのかはよく覚えてないんですよね。祖父(村松梢風(しょうふう))が作家だし、八百屋の息子が八百屋になるような感じだったのかな。 《作家になる道筋には、中国文学者の草森紳一と小説家の後藤明生が大きく関わっている》 草森さんとのつきあいは彼が編集者時代から。本人がすごい文才の持ち主なのに、雑談をしていると「それ絶対面白いよ、書いたらいいよ」なんてそそのかす。彼の紹介で雑誌にエッセーを書き始めた。僕の中にあった、ものを書く熱みたいなものを引き出してくれたわけです。 小説は何度か賞に応募してたんだけど全然だめで。ある時、担当していた後藤明生さんとそんな話をしていたら、「ボクが責任編集している雑誌で書いてみないか」って。ずいぶんおいしい話だなって思ってたら、「内向の世代」と呼ばれる作家仲間とやっていた「文体」に載せてくれた。変な話だよね。自分が原稿をもらう立場の作家に渡して見てもらうんだから。 《だが、真のデビューは思わぬところから。きっかけは後に「ムラマツ宴会」と呼ばれる、異能者たちの集まりだった》 唐(十郎)さんの舞台の打ち上げの後、公演ポスターを描いていたクマちゃん(篠原勝之)が、少し腹が減ったって言うから、うちに誘ったのが始まり。ときどき2人で宴会してたんだけど、あるとき「貧乏な人がいるんだけど」って連れてきたのがゲンペーさん(赤瀬川原平)。次に「もう一人、貧乏人がいる」って来たのが南伸坊。彼が連れてきたのが糸井重里です。それが月1回の宴会になった。その場で僕がプロレスの話なんかを熱弁するわけです。 ある日、糸井重里の本を手がけた編集者から電話がかかってきた。会ってみたら「プロレスの本を書きませんか」って。結局、猪木さん どんどん書けた 《1980年、初めての著書「私、プロレスの味方です」が出た。競技と演技のあわいで生じる闘いの魅力を独特の見方でつづり、プロレスの奥深さを多くの人々に知らしめた》 結局、アントニオ猪木さんな…この記事は有料記事です。残り3058文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






