【Aストーリーズ】しのぶの70年 終わらない水俣病

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Aストーリーズ しのぶの70年〈1〉 「尊敬と愛を込めて あなたは伝説です」 米国の俳優ジョニー・デップはそう記した色紙を、車いすに座る坂本しのぶ(69)に手渡した。 2025年12月、都内のホテルで2人は面会した。20年制作の映画「MINAMATA」で、水俣病を世界に発信した米国の写真家ユージン・スミス(1918~78)をデップが演じた縁だ。 「いろんな人が傷ついています。今も水俣病は終わっていない」 しのぶがゆっくりと言葉を絞り出すと、デップが応じた。 「If I can help in any way(お力になれることがあれば)」 「公害の原点」と呼ばれる水俣病が公式に確認されてから、今年5月1日で70年。化学メーカー「チッソ」(東京)の水俣工場(熊本県水俣市)が不知火(しらぬい)海に垂れ流したメチル水銀が原因で起こった。 これまで7万人余りに健康被害が認められたが、症状を訴えながら救いの手が届かない人が数多く残る。 その歴史は、7月で70歳になるしのぶの歩みと重なる。生まれながらに水俣病を背負わされた。魚介類が汚染されたと知らずに食べた母のおなかの中で被害を受けた「胎児性患者」だ。 メチル水銀は脳の神経を壊す。治らない。 しのぶは言葉がなかなか出てこない。動作もぎこちない。以前は支えなく歩けたが、還暦を前に車いすが欠かせなくなった。 一人になると、不安にさいなまれる。働き、子を持つ。かなわなかった夢を思う。逃れられない病に向き合い、生きてきた。 誘致合戦の末、水俣で化学工場が稼働を開始したのは1908年。村はにぎわう「街」になった。工場は32年、化学製品の原料になるアセトアルデヒドの生産を始め、中断をはさんで戦後に再開した。 副産物として生成されたのが毒性の強いメチル水銀。そのまま海に流された。 「異変」はまず、海辺の生き物に現れた。 海面に大量の魚が浮き、水鳥やカラスが飛べなくなった。ふらふらと踊るようになって死ぬネコが相次いだ。 56年5月1日。「脳症状を呈する原因不明の疾病が発生」と水俣保健所に届けられた。きっかけは水俣湾のそばに住む5歳と2歳の姉妹の発症。これが水俣病の公式確認になる。 行政は当初「奇病」と呼んで伝染病を疑った。患者の家に消毒剤がまかれ、村八分の状態になった。【動画】震えるネコと水俣病の患者たち=熊本学園大学水俣学研究センター提供水俣病の「なぜ」と今を解説 最初の患者は幼い姉妹 最初の患者の住まいから岬を…