インタビュー「東大に行け」が転機に 隠岐さや香さんが語る多摩大付属聖ケ丘高竹中美貴印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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自然豊かな多摩丘陵にある多摩大学付属聖ケ丘高校は1学年3~4クラスと小規模な男女共学校で、生徒たちはのびのびと学んでいます。同校初の東大進学者でもある科学史家の隠岐さや香さん(50)に、高校時代を振り返ってもらいました。 入学した1991年、ニュータウン開発が進む多摩の地は、まるでジブリ映画の中にいるような穏やかな街並みでした。 スクールバスを乗り降りする永山駅にはマクドナルドがありました。普通は友人と一緒に行きそうなものだけど、そういう記憶はありません。今から思えば本当に真面目だったと思います。 聖ケ丘に入学したのは、中学の担任から「特待枠」を紹介してもらったのがきっかけです。東大卒の親に負けたくないという気持ちがあって、成績は良かった。家が経済的に楽ではなくて、学費が免除されるならばと4期生として入学しました。二つ上にゴクミ 文芸部ではサブカル 二つ上には後藤久美子さんがいました。当時はまだ新設校で、学校側はカラーを探している途中だったと思います。「ゴクミがいて、制服が可愛い学校」と話題でした。 1人で自由にのんびりさせてほしいというタイプの子どもでした。運動部のカルチャーが苦手で中学は帰宅部でした。でもずっと帰宅部もつまらないと思って、高校では文芸部に入りました。 漫画を描くのも好きだったので、部の文集の表紙や挿絵のイラストを描いたりしていました。サブカルチャーをふわっと楽しめた場所でした。あまり肩に力を入れずに過ごせた期間だったなと思います。 桂正和さんの「電影少女」というちょっとエロい漫画が気になっていました。当時は携帯やスマホもないので、男子が雑誌を買って持ってきてくれるのを、友人と騒ぎながら見る時間が楽しかった。「できないことがあるほうが人間的」 今につながる恩師の言葉 印象に残っているのは、高校1年の三者面談です。母が手元の成績表を見ながら「この子、勉強はいいけど体育がどうもだめですよね」と言ったんです。そしたら担任が「何かちょっとできないことがあるほうが人間的でいいですよ」とサラッとおっしゃった。母がすこし驚いたような様子だったのが記憶に残っています。 担任の言葉に、そういう考え方もあるかと視野が広がった気がしました。 母も研究者で、周りに流されずやり抜くことを大切にしてきた人なんです。中学で体罰をする先生がいたのですが、私がたたかれた時には先生に手紙を書いて、なぜ暴力に意味がないのかについて訴えてくれました。そういう筋の通った面を今の私は素直にすごいと思える。ただ、担任は子どもに求めすぎる親だと心配したのでしょう。当時の私にとっては、そういう言葉も必要だった。 国語の先生に、いきなり真正面から「隠岐、おまえ東大へ行け。東大行って官僚になれ」って言われたのを、今でも強烈に覚えています。 親が東大なのはコンプレック…この記事は有料記事です。残り1421文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人竹中美貴東京本社ネットワーク報道本部 専門・関心分野教育・子育て、地方自治関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする









